10.04.18up
静謐なる船出 −希望を携えて−
 
【管理人より】
※このレポートは文章中の敬称を略させて頂いております。ご了承くださいませ

 3時間に及ぶ演奏会の終了直後、顧問で指揮者も務める丸山透は意外なほどの静けさを纏っていた。

 そこには10年に亘るあらゆる想いも、もちろん詰まっていただろう。
 しかし、そうした熱さとは対極にある冷静さがタクトには宿っていた。

 実は事前にプログラムを見せてもらった際、その内容のてんこ盛り加減に圧倒され、「マジでこれ全部やるの?」と感じたものだ。『ボレロ』に行くまでにボロボロになったりして...などとつまらない独り言さえ出そうになった。
 

***北陵高校Wind Ensemble 第30回定期演奏会プログラム***

 
Pre-Stage Ensemble

【第一部】
ジェイムズ・スウェアリンジェン作曲 センチュリア
C.M.シェーンベルグ作曲 「ミス・サイゴン」より
ヤン・ヴァン・デル・ロースト作曲 カンタベリーコラール
アレクサンドル・ゲディケ作曲 トランペット協奏曲 変ロ短調 OP. 41
 ※トランペット アレクセイ・トカレフ

【第二部】
田中賢作曲 メトセラU
八木澤教司作曲 マリンバ協奏曲
 ※マリンバ 高田 亮
八木澤教司作曲 パンドーラの箱
〜HWE定期演奏会30回記念委嘱作品〜

Intermezzo

【第三部】
フランコ・チェザリーニ作曲 青い水平線
モーリス・ラヴェル作曲 ボレロ
 

  

 
 かつて丸山が「演奏会は2時間以内で終わるのがよい」を持論としていたことを考えると、これは大きな変容であった。しかし、今はその理由(わけ)が腑に落ちる。

 やりきる。

 これが30回という節目を迎えた北陵高校吹奏楽部(HWE)の定演での、彼の大きなテーマであったに相違ない。でなければ、この許容量を超えたプログラムはあり得ない。その点については、打楽器の指導者でこの定演でも「メトセラU」など3曲の指揮を執った土屋吉弘も同意見であった。プログラムを考える際には、熱さを排除することは当然の如く不可能だったのである。

 そして、後ろ髪を引かれかねないファイナルステージに悔いを残すことなくやりきった。

 私にはそう思えた。

 
 少し説明が必要かもしれない。
 神奈川の県立高校では原則として同一校に10年いると、異動となる規則があり、丸山はこの3月で北陵高校在籍歴が満10年となるため、この定演が北陵高校の顧問としては最後の演奏会となることになっていた。
 それは赴任した時からほぼ決まっていたことでもあり、備える時間は十分にあったわけだが、時間があればあらゆることに訣別できる心持ちになれるというわけでもない。様々な逡巡や不安や焦燥もあったはずなのだ。

 そういった混沌の中から勇気を振り絞って「形も精神も残す」といった意味で、八木澤教司への作曲依頼があり、ラヴェルの『ボレロ』を最終楽曲として選択するという決断があったのだ。

 つまりはそういうことだったのだ。私もそうしたことを勘案しつつ、この定演をやはり特別なものとして受け止め、心の準備をしていた。

 演奏が始まる前、そんなことを考えてはいたのだが、実際に最終楽曲である『ボレロ』を聴いている途中から不意にこみ上げるものをこらえるのは難しくなっていた。

 私が『ボレロ』をHWE定演で演奏して欲しいとリクエストしてから何年が経過したであろうか。

 今、正直に告白すると、最初は軽い気持ちからだったのである。弦楽器と言えばコントラバスしかない吹奏楽団、しかも高校生。もし彼らがあの緊張感溢れる『ボレロ』をやりきれば、そりゃ凄いよなぁ、と。

 ところが、同じことを考えていた人物がもう一人いたのだ。

 その人こそが丸山透であり、彼のフォーカスは2010年3月27日に合わせられていた、ということになる。

 私が「部活ネット」というサイトを立ち上げた時、ひとつの希望を持っていた。それは“公教育と民間教育(私の軸足は塾講師である)による生徒のシェア”であり、なるべく多くの大人が子供の成長に関わるのが望ましいと考えていた。しかし、そうした想いを抱えつつ、実際にいろんな部活動を取材するうち、「もっと指導する大人も励ましたい」と考えるようになった。

 現在の閉塞的な日本の状況を憂いて、或いは少子化による競争力低下を嘆いて、といった側面もあるが、陳腐ながら、要は資源らしい資源を持たない日本に於いて教育の持つ力は絶大である、ということなのだ。さらに、教育に比肩するほどクリエイティブなものはないと確信もしているから、子どもたちがたくさん集まる学校という場所で彼らに多大な影響力を持つ部活の顧問や指導者には期待もしているし、何とか少しでも支援したいという気持ちも持ち合わせているということなのだ。

 丸山透は、私にその念を強く思わせた人であり、したがって心地よい緊張感を伴ってこの足掛け8年間お付き合いさせてもらった。しかも同じ1960年生まれだ。その彼が北陵での最後のタクトを振る、というシチュエーションだけでも心の琴線に触れるに十分な上、その彼に導かれて、高校生たちが弦楽器のない中で『ボレロ』を懸命に演奏しているのである。

 私はステージのほぼ正面、1階の中ほどに陣取っていたのだが、演奏の開始時、スネアの超弱音の出所がよく見えなかったため、「この役は高校生ではあまりに難儀なのでリズムマシンで出すことにしたのかな?」と思ったほどだった。

 失礼しました。

 音の主は小柄な1年生(新2年)・高橋彩菜さんであった。

 そのリズムキープ力やダイナミクスの使い方は実に素晴らしく、最後まで演奏全体を支え続けるものであった。喝采!

 また、『ボレロ』にチャレンジする勇気と、実際に曲を解釈し、演奏できるだけの力を身につけたチーム北陵ウィンドアンサンブルも絶賛ものであった。抑えて演奏すべきところを抑えるだけの思慮と、リミッターを振り切らんばかりの熱情を併せ持ったバンドとして、私の記憶に刻まれるに違いない。

 ありがとう。

 まだ、振り返るには早い、よね。今度はまた違うシチュエーションで会いましょう。何しろ、熱き男・丸山もHWEも“希望”を携えて新たな一歩を踏み出したばかりなんだし、ね。


  

  

『パンドーラの箱』の持つ意味
 
 ←ここをクリックすると定演当日の演奏が聴けます
※音声は許可を得て客席にてICレコーダによって録音しました。mp3ですので音質はあまりよくありませんが、ご了承下さい
 
 
HWEの第30回記念定期演奏会のために八木澤教司さんに委嘱された楽曲『パンドーラの箱』。

管理人にとって、その響きは高校時代に読んだ太宰治の小説のタイトル(正確には『パンドラの匣』)を想起させ、「最後に何かが残されている」という曖昧にして期待を持たせもするイメージがある。
今、様々な文献などに目を通しても諸説存在するため、最後に残されたものが何であるのかは、それぞれの人が自由に想像してよいものなのだと考える。

そもそも八木澤さん自身も「それが“希望 ”でなければならない」と頑なに拘っていたわけではあるまい。
また、丸山先生も「テーマは“希望”で」と頼んだかもしれないが、それが必ずしも「パンドーラの箱に残されたもの」でなければならなかったわけでもあるまい。

しかし、出来上がったものが『パンドーラの箱』であって、何ら不自然なところがないどころか、むしろ美しい予定調和かと思えるほど、この定演の底に流れるテーマと寄り添った作品に仕上がっている。

冒頭部分で管が優しく音を膨らませるあたりは「まもなく夜明け」といった濃い紫の空をイメージさせ、傷心を癒される若者が再び立ち上がろうとするのをあと押しするかの如くである。
(八木澤さんのイメージとは違っているかもしれませんが...)

楽曲というものは、それを作る者にとって何らかのインスピレーションが必要ではあるが、実際には「作るというより、出来る」ものなのだと感じる。
この曲も無理やり作ったものでなく、きっかけをつかんだら一気に出来たのではないかと。
勿論、細部の仕上げは神経を遣ったに違いあるまいが。

定演に先立つ3月10日、八木澤さん自身が北陵高校の生徒たちに直接指導する機会に、管理人も立ち会わせてもらい、いろいろとお話を訊かせて頂いたが、最も意識したことは、という問いに「形・中身を決めず、高校生たちに想像してもらいたい。私はそのきっかけを与えるだけです」と仰っていたことからも、答えの決まっていない問題に対してどう課題を設定して、自らがそれにどうチャレンジするか、に期待されているようでもあった。
 
練習時間は3時間弱ほどで、管理人は初めから最後までその場に居させてもらったが、わずかな時間でずいぶんと成長するものだと感じ入った。
特に管は八木澤さんの言葉のマジック(「音を遠くへ飛ばすイメージで」「ロングトーンこそきちんと」などなど)で急成長し、うしろから聴いていてもちょっとゾッとする響きを奏でていた。
 
  
北陵高校を訪問された際の八木澤教司さん。ひじょうに丁寧、かつ、ユニークな指導でした
 
『パンドーラの箱』は丸山先生と八木澤さんの想いを乗せて、練習が積み重ねられ、ついに3月27日に初演された。
期待にたがわぬ、音粒を意識した解釈力の高い演奏で、壮大な“何か”を感じさせるに十分なものであった。

柔らかく、優しく音を膨らませるテーマ。
そこを聴いているだけで泣ける。

葛藤、苦悩、そこからの脱却。
心揺さぶられる場面転換。

願わくば、この名曲が再びこの茅ヶ崎、湘南地区で演奏されんことを。
 
   
左の2枚は「やぎりんゲーム」の図。八木澤さんと生徒たちがジャンケンをするという単純かつ奥深いものでした。右は丸山先生と八木澤さん、さらには同行されたクラリネット奏者の三浦幸一さん
 
定演当日、八木澤さんは41度の高熱の中、特別ゲストとしてステージに上がり、気丈に質問などに答えられていました。

素晴らしい楽曲をありがとうございました。
「音楽で日本と世界を結ぶ」という目標のため、お体は大切にされて下さい。

当日前後の八木澤さんの様子は「やぎりん日記」というブログから楽しめますよ。
是非、お訪ね下さい。

管理人雑感
 
今回のHWEの定演に於いて、管理人にとっては『ボレロ』『パンドーラの箱』があまりに大きな楽曲であったため、全体のバランスとしては他の曲を楽しめる余裕があるものだろうか、と思っていた。

ところが、始まってしまえば何のことはない。
とても楽しかった。
 
  
左)トランペットのトカちゃんことアレクセイ・トカレフさん 中)地味な衣装がウリのマリンバ奏者・高田亮さん 右)今回は3曲を指揮した土屋吉弘さん
 
【トカちゃんワールド】

音楽は国境を超える、というのを文字通りに教えてくれた師匠。
そしてHWEの部員たちも「前に出たり、うしろに引いたり」という緩急をトカちゃんによって学んだのではないかと思う。

管理人はもう何年も前からHWEとともに演奏するトカレフさんを見ているので、最早金管アンサンブルに混ざっていようが、ソロでなく生徒たちと一緒に座って吹こうが全く違和感がない。

今回も澄んだハイトーンが心地よかった。

【高田亮ワールド】

管理人は高田さんについて、北陵の部員からの“うわさ話”は聞いていた。
曰く「演奏中にいきなり2度も3度も着替える人なんです」

今回は相当地味な衣装(本人申告)で、着替えもないという“特別な”演奏だったようなのだが、ビジュアル的には一番楽しかった。
衣装ということでなく、演奏の最中、あれほど動きのある楽器だったんだと認識させてもらった。
また見たく(聴きたく)なる演奏だった。

【土屋吉弘ワールド】

やんちゃ指揮者。
管理人はこの人のせいで(お陰で?)ホルジンガーなる作曲家に目覚め、なかなか手に入らないCDを探してさまよったこともある。

やっと入手したCDではあるが、車では聴かないようにしている。
時々すげぇテンションになって、事故を起こしそうだから。

今回は「メトセラU」で難しいエンディングを決めてくれた。
北陵での指導を続けてくれると聞いて安心しました。
 

祭りのあと
 
定演後の3月31日。
新聞に掲載された人事異動を見て、だいぶびっくりした。

「丸山透 北陵⇒藤沢西」
「新倉徹也 藤沢西⇒北陵」


これを『世紀のトレード』と呼ばずして、何と呼べばよかろうか。
HWEの部訓?
 
勿論、喜ばしいことなんだと思う。
ただ、相当驚いたことは確かだ。

藤沢西高校にはこれまで何度も取材をさせてもらったし、その際の窓口で顧問だったのが新倉先生であり、2006年度・2007年度は夏のコンクールで東関東大会に出場するという輝かしい実績も残している。
それよりも何よりも管理人の名づけた“ブラス煽情”は藤沢西高校のお家芸とも言えた。

そこに丸山先生が...

さて、どんな化学反応をもたらすのか。
楽しみである。

そして、新倉先生が導くHWEにも大いなる楽しみがある。
新倉先生は北陵吹奏楽部出身で、母校に戻っての指導、ということになるわけだ。

今後とも両校から目が離せない...

いやぁ、コンクールも楽しみになってきましたよ!!