04年版「管理人、高校野球に口を挟む
04年茅ヶ崎地区野球部紹介
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03年茅ヶ崎地区野球部紹介 ◇03年高校野球独善的観戦記 ◇03年予選結果

 いよいよ7月10日を皮切りに、高校野球の予選が開始されます。『部活.ネット』では、今年も茅ヶ崎地区の学校をメインに、そこに至るプロセスと、否応なく出る結果をご紹介することにしました。他のメディアとは一線を画す切り口でお届けしますので、請うご期待!
(必ずしも毎日更新するとは限らないので、予めご了承下さい)
2004.6.20up by 管理人

管理人、高校野球に口を挟む[不定期連載 04年7月4日開始]

8/23(最終回) ◇8/21 ◇8/19 ◇8/16 ◇8/14 ◇8/12
8/11 ◇8/8 ◇8/5 ◇8/4 ◇8/2 ◇7/28 ◇7/27 ◇7/26 ◇7/25 ◇7/23 ◇7/22
7/21 ◇7/20 ◇7/19 ◇7/18 ◇7/16 ◇7/15 ◇7/14 ◇7/12 ◇7/11 ◇7/4

▼▼▼[最終回]本当に優勝してしまった駒大苫小牧 2004.08.23up▼▼▼
 
 懸命に働いていた人たちには、まことに申し訳ないのであるが、22日は甲子園の決勝を観させてもらった。

 駒大苫小牧が本当に優勝するとは、失礼ながら思わなかった。驚くな、というのはムリがある。

 巷に溢れる野球雑誌その他に「いよいよ深紅の大優勝旗が白河の関を超えるか」といった特集がいくつか組まれていた。それは、勿論、ダルビッシュ率いる東北高校に焦点を当てたものであり、申し訳程度に、青森山田高校(卓球の福原愛選手も在籍している学校だ)と秋田商にもチャンスがある、などと書かれている。まさか、本州を飛び越えて、北海道から優勝校が出るとはこれっぽっちも考えていなかった、ということだ。

 駒大苫小牧、旭川北の両校については「甲子園1勝を目指す」と書かれており(週刊朝日増刊号)、彼らが北海道勢50勝目を挙げられるかどうか、ということだけが話題になっている。

 つまり、高校野球を何年も見てきたプロの記者や編集者ですら、この快挙は予測不能であったわけだ。ユーロ2004でギリシャが優勝することを予想できないのと同じで、「まさか...」というやつである。

 しかし、決勝戦を見る限り、センバツで優勝した済美に臆することなく、堂々と打ち勝ったものであり、日大三高や横浜高校に勝ったのはフロックではなかったことを証明して見せた。

 野球やサッカーでは、しばしばこういったアップセット(と言ってはイケナイんだろうが)が起こる。

 しかし、優勝したのが駒大苫小牧でよかった。手元にある様々な資料を再確認してみるに、少なくとも駒大苫小牧は全選手が北海道出身である。

 北から、代表校のベンチ入りメンバー18名に、その学校の所在する都道府県と出身が異なる選手が何人入っているかを列挙してみる。

旭川北(公立)0、駒大苫小牧0、青森山田10、盛岡大付属9、秋田商(公立)0、酒田南11、東北10、聖光学院3、下妻二(公立)0、宇都宮南(公立)0、桐生第一5、浦和学院3、千葉経済大付属3、修徳4、日大三5、横浜7、日本文理3、塚原青雲14、東海大甲府11、東海大翔洋14、中京大中京0、県岐阜商(公立)3、鈴鹿0、富山商(公立)0、遊学館7、福井4、北大津(公立)0、京都外大西3、PL学園4、報徳学園2、天理8、市和歌山商(公立)3、岡山理大付属7、広島商(公立)0、鳥取商(公立)1、浜田(公立)0、岩国(公立)1、尽誠学園13、鳴門第一(公立)0、済美7、明徳義塾13、西日本短大付属2、佐賀学園3、佐世保実0、熊本工(公立)1、明豊8、佐土原(公立)0、鹿児島実3、中部商(公立)0

 ベスト8以上に勝ち残ったチームに公立高校は皆無。他都道府県からの野球留学生ゼロ、というのも、駒大苫小牧と中京大中京の2チームのみであった。

 今、そのことをどうこう言っても始まらないのだが、どうして私が甲子園という全国大会に、それほど強く思い入れを持てなかったのか、こうして書き出してみてわかった。

 それは、私が幼い頃に抱いていた「故郷の代表」という、イメージがすっかり損なわれているからなのであった。仮に済美が春夏連覇をしたとしても、東北が優勝したとしても、愛媛の人たちや宮城の人たちは、胸に一点の曇りもなく「我が故郷の代表チームが優勝した」と喜べるものなのだろうか。

 単なるノスタルジーなのかもしれない。

 強い学校で野球をやりたいから、せっかく誘ってくれたから、など理由はいろいろあろうし、選手一人一人の事情にまで言及はできないが、私個人としては、もっと「地元」「地域」といったことにこだわってもらいたいかなぁ、と。

 まあ、私立学校にはそれぞれの方針もあって、他県からでも優秀な選手を引っ張ってくる、ということくらい当然、というところも少なくあるまい。彼らは彼らなりの「勝負」を賭けているわけだからね。

 私の生理的・情緒的問題だ、ということなのかと思う。
(駅伝・ラグビー・サッカー・バスケット・バレーボールといった競技でも似たようなことは起こっているし)

 とにかく、駒大苫小牧の選手・監督、その他の関係者の皆さん、おめでとうございました。

 近々、湘南地区の新人戦が始まる。身近だから、なのかもしれないが、私はこちらの方に興味が涌く。あの、金網越しに地方予選をただ見していたおじさんたち。彼らと私は心理的には酷似しているのかもしれない。

 おっ、オリンピックの女子マラソンが始まっとる。

 というわけで、この連載もこれにて終了したいと思います。また、来年、生きてお目にかかれれば幸いです。高校球児諸君、私の戯れ言などはあまり気にせず、好きな野球に必死で打ち込んで下さいね。

 長らくお付き合い下さって、ありがとうございました。
 

▼▼▼もう、駒大苫小牧に優勝してもらおう 2004.08.21up▼▼▼
 
 甲子園のベスト4が決まった。

 済美、千葉経済大付属、東海大甲府、駒大苫小牧。

 私の事前の予想は全く当たらなかった。夏の大会は、3回戦以降は、再度抽選により組合せが決まるので、優勝候補どうしがぶつかることも少なくない。しかし、それにしても、1つも当たらないとは...。

 私の予想は、東北・横浜・遊学館・PL学園・明徳義塾の中から優勝チームが出るというものであった。やはり、野球というのは予想が難しい。
(このうち、遊学館は東北に、明徳は横浜に直接対決で早い段階で負けてしまったのが痛かった...)

 それにしても、済美はいつのまにやらベスト4に入って、春夏連覇してしまうのだろうか。どうせなら、連覇を懸ける済美と、遠路はるばるやって来た北海道の駒大苫小牧が決勝で戦い、駒大苫小牧に勝ってもらいたい。

 ま、実は、この辺になってくると、それほど熱を帯びて観ているというわけでもないので、どこが勝ってもいいけど。

 それより、既に水面下では、新チームによる新人戦がまもなく始まる。そのことの方が楽しみだったりする。

 またしても、時間がなく、こんなことしか書けませんなぁ。何とか、時間を作って、総括でもしてみますね。
 

▼▼▼東北高校敗れる。管理人、疲弊する 2004.08.19up▼▼▼
 
 高校野球もオリンピックも佳境に入りつつある今日この頃、様々な仕事の関係で、ほとんどテレビを見ることができない。本当にせつないっす。

 それにしても、東北高校が負けてしまうとは...。着々と全国制覇へ向けて、積み重ねるべきを積み重ねてきたと思えたが、それでも負けるのが野球というスポーツだ。勝った千葉経済大付属高校を誉めるべきなのだろうね。

 横浜高校は明徳に打ち勝った。涌井投手が5点取られる、ということもなかなかないことではあるが、それでも勝ったとなると、横浜が優勝するかも。でも、野球はわからんものだ。

 私が仕事場を移動する際、たまたまラジオで聞いていた、東海大甲府−聖光学院戦では、6点負けていた東海大甲府が、最後にはサヨナラ3ランホームランで大逆転したし。

 もっと、まとまったことを書きたいのであるが、現在、あまりデキのよくない高校生たちの小論文を添削するという作業があって、どうにもなりませんなぁ。

 まさか、この連載を読むために生きている、という人などおるまいが、もっときちんと観て、もっときちんと書きたいものです。メールをくれた皆さん、ちゃんとお返事もしますので、今しばらくお待ち下さいね。
 

▼▼▼勝ちにいって勝つことの難しさ 2004.08.16up▼▼▼
 
 最早、高校野球そのものとは乖離しつつある状態になってきましたなぁ...

 オリンピックは本格的に始まってしまったし。私の睡眠時間が極度に少なくなってゆく季節の到来とも言える。

 で、とりあえず高校野球であるが、ダルビッシュという投手はやはり只者ではないのだろうね。あれだけ注目されて、尚且つ、遊学館を完封するあたりは優勝してもおかしくないだけの力があると見ました。

 だいたい地区予選では14イニングしか投げていない。彼だけが突出したチームではないことは、その事実だけでも十分窺える。全国制覇の戦略が着々と進行している、というわけだ。

 その点、我が神奈川代表の横浜高校も相当強いと思われるが、エースの涌井くんは、地区予選で連投につぐ連投をせざるを得なかった。これは、神奈川県に多数の強豪と呼ばれるチームが存在し、運悪く、そういったチームと次々に当たる組合せだったことに起因する。

 しかし、その涌井くんが京都外大西高校(何となくくどい校名だ)を延長11回、完封した。まだエネルギーがあったのかと感心する。でも、次の相手はヒール・明徳義塾だ。侮れん。

 さて、オリンピックの水泳・北島康介選手や柔道の野村忠宏選手が金メダルを取る様をテレビで観させてもらったが、そこに至るまでのプロセスを知る者にとっては、感動ものであったことだろう。

 彼らの凄いところは、「勝ちにいって、勝った」ことに尽きる。

 特に野村選手は、これでオリンピック三連覇である。尋常ではない。

 柔道というのは、言わずと知れた日本生まれの競技であるから、選手層は厚い(特に軽量級)。そこで、代表になるだけでも大変である。3回代表になっただけでも偉業であるが、その全てで優勝するなど、並みの精神力では不可能だ。

 もっと称賛されるべきなのだが、彼の不幸なところは、いつもオリンピックでは女子の谷亮子選手と同一日に試合が組まれることだ。少なくとも、私は彼を尊敬する。

 高校野球は国内の大会とはいえ、偶発的要素を多分に含んでいるので、それを一つずつ消しながら「狙って勝つ」チームが出てくると、驚きを隠せない。今年、もし東北高校が優勝したら、私は絶賛する予定である。

 に、しても、オリンピックのダイジェスト版を見ていると、女子卓球の福原愛選手がやたらと露出するのだが、どうも彼女が1ポイント取るたびに発する

 「

 という声が頭の中で輪唱してしまう。

 これは私の穿った見方かもしれないが、どうも彼女が卓球を心の底から楽しんではいないように思えて仕方がない。何かいつも難しい表情をしている、というか、眉間に力が入っている、というか...。まだ15歳なんだし、負けてもともと、というくらいに気楽にやってくれるといいんだけど。

 ま、私の思い過ごしかもしれませんが。
 

▼▼▼なべつねオーナー辞任 2004.08.14up▼▼▼
 
 北北海道代表の旭川北高校、案の定負けましたか...。

 遠路はるばるやって来て、一戦目が大会7日目。これで勝ち進め、と言う方にムリがある。でも、甲子園に出た、ということは生涯誇れるものだし、あのPLよりも長らく夏を堪能できたと思えば、よしとしませう。

 それにしても、甲子園に出た、という事実が、その後の選手たちの人生にどんな影響をもたらしたか、というリサーチは見たことがないのだが、誰か知ってますか?

 思うに、3通りあって、

(1)野球で甲子園に出れるほど頑張れた。だから、他のことにも頑張れる。
(2)甲子園に出たことによって、チヤホヤされ、自分を見失った結果、その後ドロ沼に嵌る。
(3)甲子園?確かに出場しましたが、あくまで野球は野球、と極めてクール。

 万一、私が甲子園出場を果たしていたら、「有頂天」「唯我独尊」「お山の大将」といった言葉を集めて早し最上川って勢いになっているはずで、間違いなく(2)のタイプに入るはずだ。

 晴れて甲子園の舞台を踏んだ諸君は、(2)になるのだけは避けましょうね。私の知っている元甲子園球児はすっかり道を踏み外していたぜ。

 ところで、私の記憶に間違いがなければ、甲子園出場が決まっていた学校が、野球部の不祥事でもないのに、出場を辞退せざるを得なかった例があったはずだ。

 門司工(現・豊国学園高校)は1975年春の選抜に出場が決まり、開会式のリハーサルにまで出ておきながら、その数日前に同校生徒が起こした刑事事件(婦女暴行?)の責任を取って、出場を辞退する、というものだった。(と思う)

 代わりに九州地区補欠校だった佐世保工が急遽(確か、開会式当日に決まった)出場したが、敢え無く初戦敗退。当時の門司工の選手たちは何を思ったことであろうか。そして、代理出場した佐世保工の選手たちは...。

 あの頃の高野連は実に厳しかった。今はかなり和らいだ印象を受けるけど。

 で、読売ジャイアンツの渡辺恒雄オーナーが辞任しましたなぁ。その理由が「今秋のドラフト自由枠で獲得を目指していた明大・一場靖弘投手に対して、スカウト担当部長が数回にわたり、現金計200万円を手渡していた」というものだけに、今更、何を、って感じですぜ。

 こりゃ、何らかの内部告発があったと見ました。ドラフト会議周囲では、お金が動くことなど暗黙の了解であり、200万円ごとき(そりゃ、喉から手が出るほど欲しいけど)でオーナーまで引責辞任するとは考えづらい。高野連じゃあるまいし。

 事実は徐々に明らかになるかもしらんが(闇に葬られる可能性も大)、一場投手が第二の江川卓にならないことは祈りたい。その名に負けず、まさしく卓越した能力を持っていた江川投手が、すんなり希望球団(それが巨人だったことが悲劇の始まりだけど)に入れていたら、プロ野球は変わっていたかもしらんよ。

 何せ、大学卒業後、1年間の浪人生活を経て、すっかり力も落ちたと思われたにも関わらず、彼はプロで135勝(実働たったの9年で)もしているのだ。しかも、辞めた年にも13勝を挙げ、「肩が痛くて投げられない」と言ったのが嘘だと思ったほどだ。

 ダーティなイメージを払拭するのに彼がどれほど苦労したか、私には想像がつかない。

 ま、一場くんはそこまでの大物でもないかもしらんが。

 さて、14日は東北・遊学館・横浜・明徳という、私がかねてより注目していた4チームが甲子園で揃い踏みだ。なのに仕事だ。

 .......せつない。
 

▼▼▼イ、イカン。オリンピックが始まっている... 2004.08.12up▼▼▼
 
 何が驚いたかって、何気なくテレビを見ていたら、「日本女子サッカーチームがオリンピック初勝利」などと言っているじゃないか。

 オイオイ、もうオリンピックは始まっちまったのか?開会式はまだやってないんでしょ?

 すっかり乗り遅れている私であります。

 ところで、11日の甲子園。またしてもリアルタイムでは見られなかったのだが、大阪代表のPL学園、負けましたなぁ。甲子園に出てきての初戦敗退は30年振りだというから、それにも驚かされる。

 隠していたつもりはないのであるが、実は私は大阪生まれの大阪育ち(小5までね)である。小4の時、のちにイチローのコーチとなった新井宏昌選手や、プロで新人王を獲った新美敏投手らを擁したPLが夏の甲子園の決勝に進んだことを覚えている。
(原貢監督(原辰徳氏の父親)が率いる東海大相模に負けましたが。)

 何が子供心をワクワクさせたかと言えば、PLという名前そのものだ。校歌のサビの「♪あ〜あ〜PL〜PL〜」というフレーズを覚えたくらいだから、その衝撃は普通ではなかった。だって、学校の名前がアルファベットなんだぜ。なんでLPじゃなくてPLなのかなぁ、などと考えていた始末だ。

 で、隠していたつもりはないのであるが、実は私は野球少年であった。だから、甲子園を目指し、プロ選手を目指すなら、PLに行くしかねえべ、とかなり真剣に考えていた時期があった。

 そのために、住んでいた豊中市から、PL学園のある富田林市まで自力で見学しに行ったほどだ。
(その時、二度迷子になったことが、その後の私の方向音痴を決定付けたと言って過言ではない!)

 行って驚いたのは、専用のすんげぇグラウンドがあったことだ。しかも、2つ。

 こんな環境で野球ができたらいいなぁ、などと考えていたら、神奈川県に引っ越すことになってしまったのだ。
(それが決まった時、今度は東海大相模に行くしかない、と決心していたのは言うまでもない!)

 その後も吉村・小早川・清原・桑田・松井稼頭央・今岡など、数え切れないほどのプロ選手を生み続けたPL学園。今年は、大阪府の決勝を大阪桐蔭高校と延長再試合の末、勝ち上がり、「やめるかも」と言っていた『人文字』応援も、基本的には継続されたようだ。
(昔ほど、派手に動きまくってはいなかったようだが)

 これって、すごい。「継続は力」というのは真実だ。私が自分の経営する塾に「ICプレップ」という名前をつけたのも、あながち、無関係ではないかもしれない。
(...無関係です)

 時代が変わり、指導者が替わっても継続されるもの。それを「伝統」と呼んでいるわけであろう。PL学園、天晴れである。
(おぉっ、収拾がつかなくなったので、この辺で)
 

▼▼▼塚原青雲敗退、そして管理人はサマージャンボ大敗 2004.08.11up▼▼▼
 
 先日このページで応援すると誓った、長野県代表・塚原青雲高校であったが、初戦、宮崎県代表の佐土原高校に1−3で敗れた。仕事の関係上、リアルタイムでは見られず、『熱闘甲子園』で彼らが「苦しい時には空を見上げる」というシーンをチラリと見るにとどまった。

 そりゃまあ、彼らが優勝するのに賭けるのは、先般幕を閉じたサッカー・ユーロ2004でギリシャに賭けるよりも、まだ勝ち目が薄いということだろうから、致し方ないかもしらん。

 でだね、賭けと言えば、10日にはサマージャンボ宝くじの当選番号が発表されたわけだ。

 私は3億円が当たったら、恵まれない人(自分を含む)に寄付するという決意で、毎年、サマージャンボと年末ジャンボを100枚(3万円)購入している。今以て、私が巨額の寄付行為をしていないところを見ると、当選したことがないものと推測されよう。

 そして、先程、ほんのちょっとだけ胸をワクワクさせて、ネットで当選番号を調べました....

 ....当たらないもんですなぁ...

 下一桁(300円)10枚、下二桁(3,000円)1枚。これが当たった全てです。即ち、2万4千円の赤字です。
(これは宝くじを100枚、連番で買えば必ず当たる金額で、宝くじを100枚買った時の期待値とほぼ等しい)

 ちなみに、ここだけの話だが、これまで一度も黒字になったためしがなく、こんなことでは、最初から毎年夏と冬に2万4千円ずつ寄付した方が喜ばれるに違いあるまい。

 でもさ、いつも思うんだけど、『1等の組違い賞』が当たるよりはマシかもしらんよ。何せ本物の1等が、それだけで2億円なのに対して、たったの10万円ですぜ。

 いやいや、10万円がちっぽけな金額だと言っているのではないよ。喩えるなら、高校野球の都道府県大会決勝まで25年連続で勝ち進んでおきながら、一度も甲子園に行けないくらいの、勝者対敗者のコントラストを感じるわけだ。
(自分で書いておきながら、あまりいい比喩ではなかったことを既に反省しています)

 あぁ、よかったぁ。今年も1等の組違い賞が当たらなくて。
 

▼▼▼『熱闘甲子園』始まる 2004.08.08up▼▼▼
 
 やっぱり大したものですなぁ、テレビ朝日制作の『熱闘甲子園』。

 何がスゴイって、全国津々浦々の話題性を持つ学校・選手を取材しているからね。当「部活.ネット」とはエライ違いだ。
(ま、比較すること自体にかなりムリもあるけど)

 「部活.ネット」でもそうなんだけど、取材したもののうち、実際にオモテに出てくるものの割合というのは、ひどく小さいもので、何日も、場合によっては何週間も掛けて取材したものが、ボツになるケースも多い。数え切れないほどの学校を取材したにも関わらず、斬り捨てられたものもたくさんあったことだろう。

 合掌...

 番組の進行役は、かの長嶋茂雄氏の娘・長島三奈さん。ハマリ役といったところです。
(なんで、「長」なのかは謎だ)

 で、7日は初日の試合とそれにまつわるエピソードを紹介したわけだが、やはりキチンとした映像があって、彼女のナレーションがついている、というのは全国ネットの威力を感じずにはいられない。

 NHKの試合中継も素晴らしいと思うが、この『熱闘甲子園』は、試合という現実に、多くの視聴者が見たいと思うような脚色を施してあり、製作者魂を感じさせる。実際の試合をリアルタイムで見られない人も、この番組を見ることで、おいしいところだけを切り取って色を付けられた特製品に触れられるので、商品価値は高い。全校生徒の数が50人の塚原青雲高校が出る日の放送が今から楽しみだ。

 さて、『熱闘甲子園』のホームページを見てみるに、以下のような謳い文句が書かれていた。
(無断転用。前後省略。叱られるのは嫌だけど、きっと目くじら立てる人もおるまいて)

 ...今日のみどころは、題して「甲子園の奇跡!!」。開会式直後の第一試合に出場する、天理の4番バッター藤田祐規選手と、第三試合に出場する明豊の二年生ショート藤田昌平選手は、実の兄弟なんです。奈良と大分、別々の県大会を勝ち上がり、甲子園にやってきた二人が、奇しくも同じ日に勝負の舞台に上がります。第一試合に出場する兄を練習場から応援する弟。そして、二人をアルプススタンドから見つめる母は…。設立80年を迎えた甲子園球場が用意した奇跡の組み合わせ。 ...

 確かに奇跡的なことかもしらんね。弟のチームは負けちゃったけど。彼らのお母さんは第一試合では天理高校の応援スタンドに、第三試合では明豊高校の応援スタンドに。彼女の視線を意識させる演出はなかなかのものだった。

 だが、あるものだけをクローズアップさせる手法は、見方を変えれば「他のものを捨てている」ということでもあり、やはり人工的な臭いを完全には消せない。

 で、私のようなひねくれ者は、「オヤジの方は何やってんだ?」と思う次第だ。ドカベンのじいちゃんみたいに、畳屋の仕事が忙しくて甲子園に来られないのか?
(既に亡くなっている、或いは、離婚した、ということだったらゴメンしてね)

 もしや、私にそこまで考えさせることを計算の上での演出だとしたら、私は生涯テレ朝を尊敬します。
 

▼▼▼マジッすか?塚原青雲高校! 2004.08.05up▼▼▼
 
 以下、YAHOO Sportsからの引用である。

 全校生徒50人ながら長野の代表の座を勝ち取った塚原青雲高は、春夏通じて初出場の佐土原高(宮崎)と第3試合で対戦する。

※管理人・注 塚原青雲−佐土原戦は大会第4日(8/10)に行われます

 4日、組合せが決まった夏の甲子園。私は帰宅後、何気なくYAHOOのスポーツページを眺めていた。明徳義塾がどこまでヒール役として甲子園を沸かしてくれるか、ということが最大の関心事であった。
(明徳はタッチの差で東北高校との1回戦対決を免れた。う〜ん、惜しい...)

 で、対戦カードごとの注目点が書かれているのであるが、この試合に限っては、地区大会のエピソードや主力選手についてのコメント等は一切書かれていない。上記が全てである。

 そりゃまあ、本当に全校生徒が50人ならすげえ。

 私は驚きのあまり、思わず塚原青雲高校のホームページを開いた。だが、生徒数までは書いていない。
(そりゃそうか...)

 もし、この「全校生徒が50人」というのが誤植でないとすれば、私の経営する学習塾よりも生徒数がかなり少ないことになる。驚くな、と言う方がムリだ。だいたい、全国大会に出てくるようなチームは、野球部員だけで50人以上いるのが通例だ。
(智弁和歌山高校などの特殊な例を除く)

 決めました。私、この塚原青雲高校を圧倒的に応援します。
(星飛雄馬がいた学校と同じ名前だし)

 それにしても、全校生徒が50人では、甲子園のスタンドはガラガラになってしまうのではないかと心配だ。ブラスも鳴らず、チアガールもないとすれば、あまりにもせつないぜ。まるで、『ドカベン』に出てきた弁慶高校みたいだ。
(それでも、弁慶高校には「仙人」と称するおっさんがほら貝を吹いていたけど)

 甲子園にほど近いPL学園から応援団を借りてきて、「人文字応援」をお願いしてはどうだろうか。

 PLそのものは、人文字応援をやめる方向だとも聞いているが、その理由が「もっと野球に集中して欲しいから」らしいじゃないか。きっと、PLの学生諸君も人文字応援がしたいに違いあるまい(ちょっと断定的っすかね?)。

 で、大会は7日から始まるらしいのだが、第7日(8月13日)になって初めて登場するチームも5つある。特に、北北海道代表の旭川北高校とかって、その間どうするんだろうか...。甲子園近辺に留まれば、10泊以上にもなるため、宿泊費は膨大なものとなるし、一旦北海道に戻れば、その飛行機代とかもバカにはなりませんぞ。

 その間に練習試合とかも出来ないんだろうから、勘は鈍るだろうしね。何とかしてやれんものかね。例えば、少なくとも初戦は、甲子園から遠いチームを優先して試合をやらせてあげる、とか。

 という理由で、塚原青雲高校に続き、旭川北高校も応援することにしました。でも、初戦に勝ってしまうと、さらに3泊しなければならないが、大丈夫なのか?
 

▼▼▼ベンチ入りできなかった二人の選手へ 2004.08.04up▼▼▼
 
 7/28アップ分にも書いた通り、高野連規定により、神奈川大会を制した横浜高校のベンチメンバーから2人が甲子園ではベンチ入り出来ないことになった。

 犠牲者(?)は背番号13の江藤拓己選手(2年)と背番号19の佐藤賢司選手(学年不詳。1年か2年)。
(ちなみに、佐藤選手の方は、事前の選手登録では名前が載っていなかった。これはどのチームにもあり得ることだが、大会直前になって、入れ替えた選手、ということになる。)

 他の18名とどういう差があって甲子園のベンチに入れないのか、という理由については、部長なり、監督に納得いくまで聞いたのかなぁ、と不安である。

 というのも、優勝を決めた翌日には、既に甲子園メンバーが新聞等に発表されたわけで、優勝決定からごく僅かの時間でそれが決定されたか、もしくは、前以て決まっていたか、どちらか、ということになる。

 前以て決まっていて、そのことが伝えられていたとすれば、やる気を削ぐことになりかねない。

 優勝直後に決めたとすれば、本人との話し合いが十分に為されたかどうかは疑問だ。

 勿論、横浜高校くらいの常連校になれば、それなりのシステムが出来上がっているのだとは思うし、外されたのが下級生であった、というのはちょっとだけ救われた気持ちにもなるが、彼らはこのチャンスを逸したのち、再度甲子園の土を踏めるかどうか、何も保証されていないのである。

 昔で言えば、水泳の古橋広之進、もうちょっと最近で言えば、マラソンの瀬古利彦の例を思い出す。

 古橋選手は敗戦国の責任を問われ、出場が叶わなかったロンドン五輪の1500メートル自由形決勝と同一日程で開かれた日本選手権で、世界新記録を樹立した。
(その記録が五輪優勝タイムを40秒も上回っていたことに、今更ながら驚かされる)

 メディアが発達していなかった当時は、その記録を信じてもらえない、という屈辱まで味わったが、おそらく出場していれば、オリンピックの金メダリストになれたことであろう。
(いくら「れば・たら」はなし、と言っても、あまりに可哀相だ)

 結局、古橋選手は、4年後のヘルシンキ五輪に出場するが、力の衰えは如何ともし難く、8位という結果に終わった。

 マラソンの瀬古選手については、リアルタイムで見ていたので記憶は鮮明だ。

 1980年、オリンピックは初めて東欧(モスクワ)で開催されることとなったが、ソ連のアフガニスタン侵攻にアメリカが反旗を翻し、ボイコット。
(その4年後のロサンジェルス五輪では、逆にソ連をはじめとする東欧諸国がボイコット返し!子供のケンカかと思ったものだ)

 この時、ボイコットが決定しても、瀬古選手はそれほど取り乱したりはしなかった。おそらくは、「次のオリンピックでも優勝できる」という自信もあったのだろう。若い、ということは、そういうことである。

 しかし、彼がオリンピックの表彰台に上がることはなかった。84年ロス、88年ソウルでの両五輪にも出場した(代表に選ばれただけでも大したものだが)が、敢え無く惨敗。

 つまり、「逃した獲物はデカイ」というやつだ。
(スポーツは政治の道具として利用される、という側面も覚えておきたい)

 全国レベルの強豪チームで、地区大会のメンバーに名を連ねながら、せっかく掴んだ甲子園でベンチ入り出来ない気持ちというのは、私には想像がつかない。少なくとも、私なら、目に見えないボーダーラインをひどく恨めしく思うのではないか、という気がする。

 プロ注目の涌井投手が抜けたあとの横浜高校が、これからも戦国・神奈川を制し続けられるかどうかは、誰にもわからないのだ。

 願わくば、彼ら二人が更なる努力の末、中心選手となって、甲子園の土を踏んでもらいたい。

 そう言えば、今日は甲子園の組合せ抽選がある。是非とも観たいのは、「明徳義塾対東北」。1回戦から当たってくれまいか...。
 

▼▼▼無慈悲に勝つことの素晴らしさ 2004.08.02up▼▼▼
 
 神奈川大会の決勝が終わってから、吹奏楽の取材や仕事などもあって、しばらくこのページの更新を怠っていましたが、ちょっとだけ落ち着いたので書いてみます。

 神奈川大会決勝は優勝候補筆頭の横浜高校と、ノーシードからいつのまにやら勝ち上がってきた神奈川工の対決。これで神奈川工が勝てば、ニュースバリューは高いものとなるはずであったが、結果はご存知の通り、12−0で横浜の勝ち。

 なまじ、1−0とかでなくてよかった、と私は考えてしまう。

 横浜は、春の関東大会優勝校でもあり、この予選でも日大藤沢・桐蔭・桐光・横浜商大といった甲子園出場経験のある強豪校を次々に薙ぎ倒しての決勝進出であり、接戦も経験したことから、負ける可能性は極めて低いと予想していた。

 にしても、8−0とリードした8回ウラ、「これでもか」と言わんばかりに盗塁を重ねる姿は、実に無慈悲であり、私は好感を持って観させてもらった。

 コールドゲームがない決勝戦だけに、差は少ないより多い方がいいに決まっている。事実、最終的に大阪の代表に決まったPL学園は、準決勝の大商大堺高校戦、最大8点差つけられていたところを8回ウラに一挙12点を入れて大逆転勝利を収めている。

 彼らは全国制覇を目指しており、万が一にも負けられない試合であったし、20名のベンチ入りメンバーから、甲子園では2人が外れることを考えてみても、必死になる材料が揃っていたわけだ。
(つまり、戦う相手は神奈川工だけではない、ということね)

 さらに横浜は、神奈川工に左右二枚のエースがいることを鑑み、ナント2人の偵察要因を先発メンバーに起用する周到ぶりであった。

 もともと野球そのものの力量・経験値といったもので優っていることに加え、勝利への飽くなき執念はそういったところからも読み取れる。

 野球やサッカーといった競技は、ロースコアの決着も多く、それが番狂わせを引き起こす原因ともなるが、それを極力減じようとする無慈悲さは、妙な情けを掛けるより、よほど素敵である。対戦相手への敬意も感じられる。

 負けた神奈川工の選手たちも納得できたはずだ(たぶん)。

 そして、横浜高校だけでなく、ダルビッシユ有という稀有な投手を擁する東北高校(宮城県)は4季連続の、高校野球史上最高のヒール・明徳義塾は7年連続の甲子園へと集まってくる。

 彼らにとって「野球」とは、単なる部活動という領域を超えたものであろう。精神的・肉体的葛藤も尋常ではなかったはずであるし、将来、野球を職業にしようと考えている者もいるはずだ。また、「監督」を生業とする人たちにとって、甲子園に出られるかどうか、というのは死活問題であったりする。

 「聖地」甲子園とは、そうした欲望や葛藤を大きく包んでくれる存在なのであろう。
(しかし、その欲望の源にもなっている、ということは忘れてはならない)

 神奈川大会が始まる前、茅ヶ崎地区の全監督に「全国大会は甲子園じゃないとダメですか?」という質問をしたところ、「やはり甲子園でしょう」という回答が100%であった。

 歴史というのは、どうやら重いものらしい。うつろい易い世の中で、変わらないことの素晴らしさを伝えるのが甲子園の最大の役割かもしれない。
 
今年も会えて嬉しかった人たち
 
 写真は7月21日、平塚球場外周のものである。

 昨夏代表の横浜商大が北陵を相手に戦う直前の時間、彼らはフィールドを見渡せる金網越しに、どこからか涌いて出たように集まってくる。

 平塚球場には、こうした場所がいくつかあり、昨年も見かけた光景であった。
 
 ほどよく木陰もあり、椅子まで準備している人もいる。なかなかのツワモノだ。別に、出場校の関係者でもなく、野球経験者でもない。本来の意味での高校野球ファンだ。

 平日の真っ昼間、そんなことしていて大丈夫なのか?
(と言う私も何をしているんだか...)

 こんな長閑なシーンが溢れているうちは、日本も平和なのかもしらんね。ある意味、彼らは日本という国を象徴しているのかもしれんよ。

 会えて嬉しかった人たちであった。
 

▼▼▼いよいよ決勝ですなぁ 2004.07.28up▼▼▼
 
7/27準決勝の結果 横浜16−3横浜商大 神奈川工4−1横浜隼人
 
 とまあ、決勝戦が28日に行われる。横浜高校対神奈川工という組合せとなった。

 神奈川工が決勝に勝ち上がって来ると予想した人は限りなくゼロに近いのではなかろうか。私などは、鶴嶺高校が決勝に行くことはあっても、公立のノーシードの高校が決勝まで来ることは全く考えられなかった。

 野球なればこそ、ではあろうが、27日の準決勝を見る限り、神奈川工は横浜相手であっても、そこそこは戦えるチームに「成長」している。強い、ということの結果として勝ったのではなく、勝った結果として強くなった、と言えるであろう。

 私などは、最早どちらのチームが勝つか、ということより、甲子園には18人しかベンチ入りできない、という規則の方が気になってしまう。神奈川予選では20名がベンチに入れたわけであるから、そこから2人は甲子園のベンチに入れないことになる。

 勝ったチームの監督は大変だ。誰を外すのか。ボーダーライン上にいる選手たちも、「俺って外されるのか?」などと気が気でないでことあろう。そこにも間違いなく、ドラマは存在する。

 ちなみに、宮城県大会ではダルビッシュ有投手を擁する東北高校が、決勝だというのに、20−2という容赦ないスコアで甲子園行きを決めた。
(だいたい、決勝戦が「初先発」というあたりに、6年前の横浜高校以上の全国制覇戦略が見え隠れしている。)

 明徳義塾対ダルビッシュという究極の「ヒール対決」も楽しみではある。

 で、私は28日は、横浜スタジアムではなく、茅ヶ崎市民文化会館に出掛けたりする。吹奏楽のコンクールがあるんだよ。野球だけでなく、いろいろな部活が頑張っているからね。ちょっと応援に行ってきます。
 

▼▼▼明徳義塾高校(高知県)を称える 2004.07.27up▼▼▼

7/27神奈川大会準決勝組合せ

横浜商大(第2シード)−横浜(第1シード) 神奈川工(ノーシード)−横浜隼人(第1シード)

 
 26日は予備日で神奈川大会の試合はなかった。今年はカラ梅雨で、予備日が本来の「休養日」となったことは、ここまで勝ち上がったチームの選手たちには喜ばしいことであろう。
(カラ梅雨のせいで影響を受ける産業の人もいるから、ちょっと複雑な気持ちもするが...)

 さて、他県では次々と甲子園への切符を手にしたチームの歓喜がマスメディアに露出する。そうした中、高知県の代表に決まった明徳義塾高校について、ちょっとだけ書かせてもらう。

 ハッキリ言ってスゴイ!何がって、「7年連続出場」ということがね。

 高知県は、出場チームが32校と全国で3番目に少ない(鳥取県27校、福井県29校)が、それでも甲子園に出るためには5回勝たねばならない。7年連続出場、ということは、単純に計算しても高知県大会で35連勝していることになる。高知県には高知商業や高知高校、伊野商業などの全国優勝を経験しているチームがひしめいているのに、だ。
(加えて、土佐高校や中村高校も全国準優勝経験がある。高知県の野球レベルはかなり高い。)

 明徳義塾が初めて甲子園に出場したのは、今から20年前の1984年のことであり、この20年の間に、県予選でベスト4に入れなかったのは、わずか2回だけというケタ違いの勝率を誇っている。

 その間、1992年には、甲子園という聖地で、現ヤンキースの松井秀喜選手を擁する星陵高校(石川)相手に河野和洋投手(彼はエースが故障していたため、本来は外野手であったが、マウンドに立っていた)が「5打席連続敬遠」という、破天荒な戦術を用いて勝ったことでも話題になった。
(河野投手が、というより、馬渕史郎監督が、と言う方が正しいか)

 当時の論調としては、「高校生のくせに、なぜ正々堂々と勝負しない?」というものが強かった。

 私は、同じ高校生から5打席連続敬遠される松井選手に敬意を払うと同時に、「勝ちたい」のなら、それもありじゃん、と考えていた。考え方の違いはあるにせよ、勝利至上主義もここまで徹底すれば、大したものである。実際に、そのお陰で星陵に勝ったのも事実なのだ。
(ちなみに、元巨人−横浜の駒田徳広選手は、桜井商業高校時代、奈良県の地区予選で満塁で打席に立った際、敬遠された、という経験を持っている)

 だいたい、私も甲子園のことを「聖地」などと表したりもするが、野球という競技自体が、それほど正々堂々としているとは、どうしても思えない。

 名詞として「盗塁」「併殺」「牽制球」などは、音読みだから、さしたる違和感も持たないかもしれないが、その実、「盗む」「殺す」という内容だ。
 
 動詞でも「ランナーを刺す・殺す」などは、何万人もの子供が観ていると思われるNHKの全国放送でも、平然と使われているが、それに対するクレームでNHKの電話回線がパンクしたという話を聞いたことがない。

 そういうスポーツなのだ。

 たいていの場合、少なくとも当事者にとっては、「勝つ」ことは「負ける」ことよりも、美しい。勝利を目指さない真剣勝負は存在しないはずだ。

 「敬遠」も、勝つために、ルールで認められた立派な戦術である、という見方もあっていいだろう。しかし、「高校生らしさ」という実体のないものを求める大人は、明徳義塾の採った作戦を許し難いものと考える。

 こういうことは、善悪という基準で議論しても致し方あるまい。

 私の高校時代を振り返ってみても、時にひどく純粋であり、時にひどく凶暴、また、時にひどく狡猾でもあった。私が標準レベルよりもかなり下劣な高校生であったにせよ、野球をやっている高校生だけは常にフェアプレー精神に満ち溢れている、とは考えづらい。そんなことを求めては、高校生たちも息苦しかろう。

 馬渕史郎監督は、「勝ちたい」からこそ、松井選手を敬遠したわけだ。
(但し、彼が「2点差以内であれば、松井は敬遠しろ」と指示していた、ということは知っておきたい)

 当時の明徳義塾の選手たちも、まさか監督のロボットではあるまいから、戦術を理解した上、それを実行したものだと思われる。そのことは、現在、専修大学野球部のコーチとなった河野投手(専修大学−ヤマハ。大学・社会人時代は外野手として活躍)も認めている。

 それだけ松井選手が図抜けた存在だったわけで、そういうスーパースターを抱えたチームに勝つためには、そのスーパースターを機能させない、というのがスポーツ戦略の常である。たまたま、試合の流れから、結果的に5打席連続の敬遠になっただけだと考えられる。

 そんな明徳義塾でも、全国で優勝できたのは2002年夏が初めてだった(今のところ、その1回だけ)。あらためて、野球で「狙って全国制覇する」ことの難しさを感じさせる。

 いずれにせよ、7年間無敗、というのは野球という競技の性質上、易しいことではない。県内のライバル校も手をこまねいていたわけではないのだ。「偉業」と呼んで差し支えないものであろう。

 もう、こうなったら、ルールで許容されるあらゆる戦術を駆使して、徹底的にヒール役になる、というのはどうだろうか。

 さて、神奈川大会は27日、準決勝を迎える。最大で8試合勝たねばならないことや、県内に強豪チームが相当数存在するため、全国大会に行き着くまでに、既に疲弊している、というのが、近頃の神奈川代表のイメージとなっている。

 そりゃまあ、大和引地台球場にその銅像がそびえ立つドカベンや里中を擁する明訓高校のようなわけにはいくまいが、甲子園に出場するチームには、是非、力を尽くして、できれば勝って欲しいものだ。
(ところで、今思うに、引地台球場には、なぜ岩鬼や殿馬の像はないのだろうか...。予算の問題っすか?)
 

▼▼▼見ました 準々決勝 2004.07.26up▼▼▼

7/25 準々決勝の結果

厚木西5−10横浜商大 横浜5−2桐光学園
神奈川工6−4横浜創学館 横浜隼人12−2鎌倉学園

 25日、テレビ(TVK)ではあるが、 準々決勝4試合を観させてもらった。

 印象に残るのは、横浜高校であった。

 エースの涌井投手は絶好調ではなかったと思われる。しかし、プロですら、常に自分の100%のパフォーマンスを発揮できないわけだから、それを高校生に求めるのは酷というものだ。
(高校時代の江川卓投手(当時・作新学院、現在・芸人)は病気だったとしか思えない。いくら地方予選とはいえ、3試合連続ノーヒットノーランというのは、尋常ではない)

 初回、センターへ先制2ランホームランを浴びたのちは、要所を抑え、味方打線の援護を待つ涌井投手。彼にとっては、ラッキーな、そして桐光にとってはあまりにアンラッキーなヒットが4回二死から横浜に出た。

 桐光バッテリー間に高く上がったフライは難なく捕球できると思われたが、これを譲り合うような形で内野安打にしてしまった。

 しかし、2年生とはいえ、桐光の山室投手も140キロを超えるボールを投げる。落ち着いていけば、凌げると見ていたが、横浜高校打線は、この隙を見逃さなかった。次々にヒットを重ね、3点を取って逆転した。

 「相手がくれたチャンスを絶対にモノにする」。これは確かに鉄則ではある。しかし、ステージレベルの高さ(全国一参加校の多い神奈川大会の準々決勝、という意味)や相手の力量を考慮すると、それは簡単なことではないはずだ。

 こうした野球を展開できる力と経験こそが、横浜高校を常に全国レベルに押し上げているのだと痛感させるシーンであった。

 が、その横浜高校と言えど、甲子園を約束されているわけではない。既に、日大藤沢・桐蔭学園・桐光学園と、いずれも本気で甲子園を狙うチームとの対戦を制してきたが、準決勝では、昨夏代表の横浜商大と戦わねばならない(昨年決勝と同じ顔合わせ。昨年は商大が勝っている)。

 これで準決勝・決勝にも勝つことになれば、全国優勝も見えてくる。

 しかし、5回戦えば4回は勝てる相手であっても、5回に一度は負ける、ということであり、それが本番の試合で出ないとも限らない。
(商大と横浜の実際の力量の差は、私には計り知れない。あくまで「比喩」ということね)

 いずれにせよ、甲子園への切符を手に入れるチャンスが残っているのは、わずか4チームとなってしまった。何となく、商大に肩入れしたい気持ちになっているのは、私の悪い癖かもしれない。

 それにしても、なぜ「甲子園」なのだろうか。そのあたりも少し考えてみたい。
 

▼▼▼ベスト8進出校決まる 2004.07.25up▼▼▼

7/25 準々決勝組合せ

厚木西(第1シード)−横浜商大(第2シード) 横浜(第1シード)−桐光学園(第2シード)
神奈川工(ノーシード)−横浜創学館(ノーシード) 横浜隼人(第1シード)−鎌倉学園(第2シード)
 
 
 茅ヶ崎勢が全て姿を消したため、正直言って、少し気抜けしたところがある。

 しかし、勝ち残ったチームはたった1枚の切符を求め、さらなる戦いを続けている。茅高を破った厚木西は公立高校の雄として、「甲子園」を狙う。24日も光明相模原を破り、ベスト8を決めた。また、北陵に競り勝った昨夏代表の横浜商大は、日大高校との投手戦を制し、1−0でベスト8へ勝ち上がった。

 それでも、あと3回勝たなければ甲子園には行けないのである。アンドレ・ジイドの「力を尽くして狭き門より入れ」という言葉を思い出す。

 神奈川新聞の記事(大会前のもの)によると 、厚木西の背番号1・石橋投手は、実は厚木西高校が第一志望ではなかったそうだ。つまり、昨年度まで実施されていた「第一志望・第二志望制」という高校入試の方式が生んだ『偶然』の賜物というわけだ。

 あの制度も短い命であったが、もし、厚木西が甲子園に出るとすれば、少しは存在価値があったと認められよう。
(でも、あまりいい制度だとも思えなかったけど)

 で、準々決勝でその2チームが対戦する。当たり前であるが、一方は勝ち上がり、 他方は敗れ去る。それは致し方のないことではあるが、できれば、「この試合を終わらせたくない」と思えるような、そんなゲームをしてもらいたい。

 6年前のあの夏、「怪物」と呼ばれた松坂大輔投手を擁する横浜高校と、大阪代表のPL学園との延長17回に及ぶ熱闘を記憶している人も多いだろう。私は、あの試合こそが、高校野球史上最高のゲームだと思っているが、「この試合が永遠に続けばいいのに」と考えていた選手がたくさんいたのでないかと想像する。
(松坂投手は「早く終わってくれ」と願っていたらしいが)

 明日(おっ、実際には今日だね)、寝坊しなければ、厚木西−横浜商大戦をテレビ観戦したいと思う。

 それにしても、やはり「シード校」というのはダテじゃないもんだ。第1シード・第2シードは4校ずつあったわけだが、それぞれ3チームずつがベスト8に勝ち残っている。このあたりまで来ると、フロックだけでは勝ち上がれない、ということなのであろう。

 その中で、ノーシードから勝ち残った神奈川工は相当立派。昨秋・今春の県大会では目立った成績もなく、ほぼノーマークだったのではなかろうか。
(その点、同じノーシードでも横浜創学館は昨秋の県大会を制している)

 しかし、ここまで来れば、シードもクソもなかろう。「強い者が勝つ」のではなく、「勝った者が強い」という純粋な尺度で、今後の試合を観てみたいと思う次第だ。

 極めて陳腐ではあるが、「みんな、頑張れ」と言いたい。

▼▼▼記憶に残る夏をありがとう 2004.07.23up▼▼▼
 
 これは21日、平塚球場で行われた4回戦の最終スコアである。
(先攻のCHは「茅ヶ崎北陵」、後攻のYSは「横浜商大」を表す。)

 暑く、そして熱い試合であった。

 商大は言わずと知れた昨夏の神奈川代表。先発の田沢くんは背番号1。昨年甲子園に行ったメンバーであり、2年生だった昨夏の時点で、昨年のエース・給前くんと並ぶ存在と称されていた。また、野手陣もベストメンバーを配して「北陵、侮れず」という姿勢で臨んできた。

 その商大から、北陵は初回3本のヒットで先制。そのウラの攻撃を先発の「りょ〜に〜」こと東くんがゼロに抑えたことから、明らかに商大側応援スタンドに動揺が走る。初手から大盛り上がりの三塁側北陵応援席。北陵ペースで始まった試合であった。

 惜しかったのは、2回表。走者一・三塁から得点に繋がらなかった。相手はベンチ入りメンバー中、9名が昨夏の甲子園を経験しているとは言え、やはり北陵と同じ高校生。出鼻をくじけば、一気に北陵ペースが加速するチャンスでもあった。

 ま、それを簡単には許さない、というのが強豪チームの強豪たる所以なのであるが。

 2回ウラ、下位打線に回った商大であったが、ランナーを一人置いて、8番に入った松井くんがライト頭上を大きく超える飛球を打った。打球はフェンス上部に当たったのち、スタンドイン。協議の末、ホームランと判定された。彼は昨夏の甲子園を経験していない。強いチームには、そういった新しい芽も出てくる、ということか。

 実は、北陵には3回表にも走者二・三塁という場面があり、ここでも得点機を逸した。

 「チャンスのあとにはピンチ」という言葉通り、ヒットのランナーを犠牲バントで進められ、5番河西くんにタイムリー二塁打を打たれたところで、東くんがマウンドを去る。

 「りょ〜に〜」はもっと投げたかったのかもしれないが、レフトに退き、1年生の内田くんがリリーフに。3回戦で継投策がズバリと的中した松島監督の采配は、この試合でも冴えていた。

 盗塁を許し、一死三塁で迎えたバッターがレフトフライ。「替わった選手のところに打球が飛ぶ」という科学的根拠のない伝説通り、レフトに入ったばかりの「りょ〜に〜」 のところへボールが飛んだ。三塁走者はタッチアップで走り出す。

 つかむやいなや、“エース”の意地を込めたボールはキャプテン・中村くんの構えるホームベースへストライク。一方的な流れになりかかるところを食い止めるファインプレーであった。
 
  
左)先発「りょ〜に〜」 中)フェンスに当たったボールがスタンドイン。当初三塁打かと思われたが、判定はホームランに。 右)レフトに入った「りょ〜に〜」からのバックホームでタッチアップの走者を刺す
 
 4回ウラ、商大は盗塁を3つ絡めて、2点を追加した。しかし、1年投手内田くんは、以降得点を許さず、味方の反撃を待った。

 私はこの時点で商大応援席へと移動した。昨夏、甲子園に出たチームが北陵に対して、どのような思いで戦っているのかを是非聞いておきたかったからだ。
(勿論、商大側に知り合いなど一人としていないのだが、取材も慣れてくると、大概のことはできるものだ。また、私は「自分を捨てる」のも得意技だ。)

 すると、意外な言葉が返ってきたのであった。
 
  
  
横浜商大はグリーンを基調として、それにオレンジを配したカラー。“まだ”4回戦ということもあって、応援スタンドにも空席が目立った。応援団長はひじょうによく通る声で、指揮していた。また、ブラス軍団は、応援指揮とともに楽器を揺らしつつ演奏、ベンチに入れない部員たち(すげぇいっぱいいた)はメガホンをバチバチ叩きながら、声を張り上げていた。
 

商大主将・菊地亮太くんの父君
横浜商大 菊地亮太主将の父君にインタビュー
 
 一塁側の横浜商大応援席へ潜入。父母会らしき集団の後方にいた男性に、「今日の試合はどうですか」などと、探りを入れつつ、ちゃっかりキャプテンのお父様を発見(というか、教えてもらったんだけど)。

 菊地主将(一塁手)の父君は、実に冷静であった。やはり、一度でも「甲子園」を経験していると、様々なことに客観的になれるのかもしれない。
 
Q:今日の北陵との試合というのは、商大にとってどんな位置づけなのでしょうか?
A:正直言って、3回戦までは負ける相手ではないと考えていましたが、北陵は侮れない、ということで、ベストメンバーで臨んでいます。とにかく、夏は一度負けたら終りですから。

Q:先取点を取られて、どんなお気持ちに?
A:ええ、今年は3年生ピッチャーがエースの田沢くんだけなので、打ち込まれたらマズイな、と。よく、2回・3回のピンチを凌ぎましたよ。

Q:当然、今年も甲子園に照準を合わせているかと思いますが、どんな調整で臨んでいるのですか?
A:そうですね、3回戦あたりまではかなり厳しい練習を積んでいましたが、今はようやくその疲労が抜けつつあるところではないでしょうか。ピークが27日(準決勝)・28日(決勝)になるようにスケジュールを組んでいるようです。

Q:去年、甲子園に出たチームと較べて、今年のチームはどんな特徴がありますか?
A:去年は2年生が多かったこともあって、がむしゃらに行けたところを、今年はちょっと油断していると言うか、甲子園に出たチームということで緊張しているのか、ミスが時折出てしまっています。

Q:ありがとうございました。暑いですが、応援頑張って下さい。

 ということで、やはり私立強豪と呼ばれるようなチームは、「甲子園に出ること」が前提なので、決勝の行われる日程から逆算して、チームの調子を上げてゆくものらしい。これについては、鶴嶺高校の監督である菊地原先生が仰っていた通り、「商大はベスト8以降のことを最初から考えている」というのが正しいようだ。

 しかし、その商大にベストメンバーを組ませる北陵もなかなかヤルと言っていいのではなかろうか。

 今度は、北陵応援席に舞い戻り、北陵キャプテンの中村将人くんのお父様にも聞いてみた。
(この間、商大の田沢投手がペースをつかみ、中盤は北陵打線をほぼ完璧に抑えていた)
 
北陵 中村将人主将の父君にインタビュー

北陵主将・中村将人くんの父君
 
 インタビューさせてもらったのは6回ウラ。この回から、北陵の捕手は中村主将から2年生の浜口くんに交替。中村くんはファーストに回った。劣勢ということもあり、威勢のいい言葉は出てこなかったが、北陵野球部に対する強い愛情を感じるものであった。

Q:どうですか、今日の試合は?
A:いやぁ、予想通り厳しいものになっていますね。商大のピッチャーも立ち直ってなかなか打てなくなりましたね。
 
Q:まだ6回で4点差なら、捨てたものでもないと思いますが...
A:ええ、何とか9回までは戦わせてあげたいですね。それに、来年のことも見据えて、1年生のピッチャーと2年生のキャッチャーでバッテリーを組ませていますから、これで抑えれば自信になりますよ。

Q:では、逆転を信じて一緒に応援しましょう。
A:そうですね。

 6月の鶴北戦、先日の3回戦に続いて、三度目のインタビューであったが、常に相手校の強さも十分に理解しての発言をされる。将人くんが帰宅した後、どんな話をしたのか、と聞いてみたい気がする。

 さて、試合は中盤以降、淡々と進んでいるように見えた。北陵は八窪くんのファインプレーなど、守備では頑張りを見せていたが、打撃は4回以降は音なし状態となっていた。私も、さすがに甲子園に出るチームは一旦ペースをつかむと、着々とアウトを積み重ねるものだなぁ、などと考えていた。

 北陵応援席でも、8回の攻撃が始まるまでは、「さあ反撃するぞ!」というムードにはなっていなかったように思えた。

 しかし、その8回表が始まろうというその時、一昨年の主将であった佐藤亮太くんが、応援席に向かって、必死にこう叫んだ。

 「まだ2回攻撃があります。4点差は追いつけます。みんな、もっと声を出して選手を励ましてやって下さい!」

 一気に盛り上がるスタンド。そうだね、諦めはいけないね。少なくとも、5回以降、相手をゼロに封じているわけだから、スタンドからの声援で、選手たちの背中を押してあげよう。そんな雰囲気にさせるひと言であった。

 「念」というのは通じるものかもしれない。4回以降沈黙していた打線が息を吹き返した。得点にこそ繋がらなかったが、一死一・三塁というチャンスまでは作った。最早、攻略不能かと思われた商大の田沢投手であったが、残る9回に何かが起こるかもしれないと、期待させる8回表の攻撃であった。
 
  
  
上左)1年生投手・内田くん。度胸満点 上中)商大のエース田沢くん。絶好調ではなかったが要所を締めた
 
  
  
商大のグリーンに対して、北陵はブルーが基調。学生服を着た応援団の中には女の子もいた。彼女は、9回の攻撃中、涙が止まらなかった。
 
 最終回、北陵応援席は踊り狂っていた。8回に見せた、ボールに食らいつくバッティングは最後にドラマを引き起こす可能性を暗示するかのようであったから、無理もなかろう。

 そして、期待に応えて、先頭の内田くんが二塁打。さらに、再三のファインプレーを見せた八窪くんがヒットで続き、無死一・三塁。昨夏の王者・商大ベンチにも危機感が走る。伝令が飛び出し、マウンドに内野手が集まる。奇蹟の序章なのだろうか...

 続く小沢くんのファーストゴロの間に三塁走者の内田くんがホームイン。まず1点を返す。さらに、石黒くんが左中間に二塁打を放ち、八窪くんをホームに迎え入れる。これで2点差とし、尚、一死二塁。いよいよ応援席は阿鼻叫喚の呈を催してきた。

 高校野球の醍醐味、ここに至れり、といった風情である。

 しかし、奇蹟は起こらなかった。後続の田辺くん・草野くんが連続三振に倒れ、ゲームセットとなった。
 
  
左)最後のバッターとなった草野くん 中)勝利の校歌を歌う商大ナイン 右)試合終了後、商大応援団とのエール交換をする北陵応援団
 
 誰もが最後の打者にはなりたくないものだ。それはおそらく草野くんとて同じだったはずである。

 しかし、私は少なくとも彼がバットを振ってくれたことで、救われた気持ちになった。2ストライク3ボールのフルカウントであり、フォアボールで出塁する、という考えもないではない。だが、その気持ちが強すぎると、打てるボールも見逃してしまうこともある。見逃しの三振ほど、辛い記憶に残るものはないのではなかろうか。

 草野くんだけでなく、ベンチ入りしたメンバー全員が、そして、ベンチに入れなかったメンバーも、胸を張って欲しいと願う。あの時こうしていれば、というちょっとした後悔もきっとあるのだろうが、「れば・たら」を言い出せばキリがない。

 また、相手がいてこそ試合は成立する。そして、その相手はこちらの力を出させまいとして必死に戦っているのだから、「自分(または、自分たち)の力を100%出し切れなかった」ことは、別段恥じるべきことでもないと思う。むしろ、100%発揮できることなど稀なのである。
(だからと言って、適当に戦ってもよい、ということにはならないが)

 つまらないミスもなく、締まった好ゲームをありがとう。勝った横浜商大にも、賞賛を送りたい。是非、二年連続の甲子園を目指してもらいたい。

 この試合を通じて、私の中には「2004年の夏はひどく暑かった」という記憶が刻まれることであろう。そして、「熱かった」ということも。
 
=涙の解団式=
  
左)応援団から野球部へのエール 中)部員たちを前に語る松島監督。スコアブックを見ながら「ヒットの数では商大に勝っていたのに、試合で負けたのは監督の責任だ」と。 右)必勝祈願の千羽鶴
  
左)キャプテン中村くん 中)涙溢れるマネージャーたち 右)3年マネの丸山結さん
  
左)コーチの佐藤亮太くん 中)恐るべき出塁率に加え、アクロバティックな守備を見せてくれた八窪くん 右)「このままでは終われない」と大学進学後も野球を続ける決意の「りょ〜に〜」こと東くん
  
 
 北陵野球部では、夏の予選で負けたあと、チーム全員が集まって3年生の引退式に相当するものを催す。例年はロッカールームでやるのだそうだが、今年はロッカーが使えないという事情もあり、思わず「公開引退式」となった。

 簡単に言うと、監督・部長・コーチが3年生部員に、3年生が1・2年生たちに言葉を残す、というものであるが、これはなかなか泣かせる。もともと素直な子が多いのが、茅ヶ崎地区の学校の特徴でもあるが、この引退式の際には「純粋度100%」の状態になっていて、日頃は照れて言えないような言葉も口をつくもののようだ。

 曰く「今、野球部を辞めようかと考えている奴。3年のこの時期になったら、辞めなくてよかった、って絶対に思えるから続けて欲しい。」曰く「マネージャーがいなければ、野球部は成立しない。マネさんたち、ありがとう。」曰く「最後に一番いい試合ができてよかった。」...等々。

 また、今でこそ、5人のマネージャーがいるのだが、今年の初めあたりは「ゼロ人」という究極の状態であった。学校じゅうに「マネージャー募集」のポスターを貼り、部員たちが手分けして、なり手を捜していた。

 現2年の上久保あゆみさんが、最初にマネージャーを買って出、「りょ〜に〜」こと東くんが現3年の丸山結さんを口説き落として連れてきて、どうにか形になったのは春季大会間近の頃だったと聞く。

 商大戦、ベンチに入り、同級生たちの引退決定を目の前で見た丸山さんは、印象に残る言葉を語っていた。

 「もし、野球部のマネージャーをやっていなかったら、きっとつまらない毎日を送っていたと思う。アズマ、私のことを誘ってくれてありがとう。それから、上久保。いろいろとありがとう。上久保がいなかったら、マネージャーを続けられなかったと思う。」

 溢れ出る感謝の言葉。溢れ出る涙。

 甲子園に出られるチームは、神奈川県でたったの1つ。しかし、こうした場を通じて、自らが生きてきたことを実感できるチームはきっと多数あることだろう。甲子園に出られなかったとしても、「このチームで野球をやったことが誇り」と思えるなら幸せである。
 
=茅ヶ崎高校野球部の皆様へ=
 
 テレビ中継があった関係で、多くの人が茅ヶ崎対厚木西戦をご覧になったことかと思う。
(私もようやくビデオで観ました)

 一昨日も書いたが、私は密かに茅高が第1シードの厚木西を倒すのでは、と期待していた。

 残念ながら、初回の6失点が響いて、コールド負けを喫してしまったが、この夏の快進撃は賞賛されるべきことかと思う次第である。

 エースの佐野くんをはじめ、2年生が中心となっていたチームだけに、来年どれほど強くなるのか、今から楽しみにしたい。

 できれば、今年の「55野球」のように、茅高独特の戦術(?)で意思統一し、是非、もう一歩上を目指して頑張って欲しいと思う。

 今年は、結局試合の応援には行けなくてゴメンナサイ。来年こそは「寝坊」せずに、行かせてもらいますね。
 

▼▼▼酷暑の4回戦 茅高・北陵、力尽きる... 2004.07.22up▼▼▼
 
7/21の結果 茅ヶ崎0−8厚木西 北陵3−5横浜商大
 
 ひどい暑さであった。甲府では40度を突破したそうな。

 その暑さの中、茅高と北陵が4回戦を戦った。結果は上記の通りなのであるが、結果だけを報道するなら新聞にもできますわな。

 私もせめて彼らと一緒に戦おうと思い、平塚球場へと出向き、北陵と昨夏代表校の横浜商大高校との試合を観させてもらった。

 北陵は3本のヒットで初回に先制点を挙げ、4点ビハインドの最終回にも2点を取り、昨年の王者を追い詰めた。北陵側スタンドの興奮は最高潮に達した。そして、横浜商大側スタンドはこの暑さにも関わらず、冷や汗をかいた。

 この試合とそれにまつわる話は、今日、これ以上書くのはやめようと思う。

 日頃、めったに日光を浴びない生活を送る私が、この数日というもの、光を浴びすぎたせいか、ちょっとだけ具合が悪い(おぉ、何て軟弱な!)、というのもあるのだが、あまりにもいろいろなことが脳内を駆け巡っているため、収拾がつかない。

 この連載を楽しみにしている読者がどれほどいるのかはわからないが、近頃、とみにアクセス数が増えていることも鑑み、明日、きちんと写真も含めて書く、ということで許してもらえるだろうか...。

 さらに申し訳ないことに、茅高の試合はビデオで観させてもらう(まだ観ていません)ことで勘弁してもらえるだろうか...。

 茅高・北陵ナイン、応援に出向いた生徒・父母・教員その他の関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。熱中症で倒れたというような人はいませんでしたか?もしいないなら、幸いです。

 北陵3年生部員諸君。22日には松島監督の自宅で最後のミーティングをやるそうですね。人間味溢れる監督のもと、いろいろな想いやこれからのことについて、大いに語って下さい。

 素晴らしいゲームをありがとう。

 末筆ですが、茅高・秋山監督の胃に穴が開いていないことを祈念致します。

<管理人・注>
 これで最終回、というわけではありません。念のため。
 

▼▼▼決戦前日 茅高ナイン、既に校歌の練習! 2004.07.21up▼▼▼
 

第1シードの厚木西高校に勝って、校歌を歌う、というイメージトレーニング?すんごい声量でした。

猛暑の中、最後の掛け声。「明日は勝つ!」

 
 試合の行われない20日、懺悔の意味も込めて、茅ヶ崎高校野球部の練習を取材させてもらいました。

 しかし、東京では39.5度という観測史上最高気温を記録するほどの猛暑。選手たちは我々だけでなく、TVKの取材にも対応していたが、大丈夫だろうか...。

 明日、第1シードの厚木西高校との4回戦を控え、茅高は燃えている。勝てば、部史上最高タイのベスト16であり、さらにもっと上も狙える組合せでもある。しかもテレビ中継がある保土ヶ谷球場だ。

 決戦前日、秋山監督は勿論、心温まるメールをくれた2年マネ・木村美夕紀さんほか、主要メンバーのインタビューを敢行してきましたぞ。
 

にこやかに明日への決意を語る秋山監督。まだ、胃にはそれほど穴が開いていないのかもしれない。
★★★秋山英好監督にインタビュー★★★
 
 接戦の采配は胃が痛む、と語っていた秋山監督。2回戦・3回戦がいずれも1点差だっただけに、さぞや胃もボロボロかと思いきや、意外にもリラックス。

 第1シード・厚木西との試合を明日に控えたその心境をお聞きしました。

Q:これまで3試合の戦いぶりは監督から見て、いかがなものですか?
A:やや気負って、力を出し切れていないところもありますが、なぜか勝っていますね。
 
Q:特にどういったところで力が出せていないと?
A:打撃ですね。うちの持ち味はバッティングですが、ここぞという時の一本がまだ出ていないですね。冬場もあれだけ振り込んできたので、打ち勝ちたいという気持ちが強いです。

Q:鍵になるバッターは誰だと?
A:2年生の鎌田くん・石川くん・黒崎くんといったところです。3年生はそこそこ打っていますから、チームの中心になる2年生の打撃爆発と願いたいものです。

Q:厚木西は背番号1の石橋くんが投げるかどうか微妙なところですが...
A:そうですねぇ、私が厚木西の監督であれば、一昨日の試合(3回戦、対元石川高校戦)を見れば、エースは温存するかもしれませんね。あの試合は振れていませんでしたし。相手からすれば「茅高、大したことないな」と思って不思議のないデキでしたからね。ま、そこにつけ入る隙もあるかもしれませんが。

Q:エースが出てきたら、攻略は簡単じゃない、ということでしょうか?
A:そうですね。でも、石橋くんなら、うちの打線はある程度は打ち崩せると思いますよ。そういう練習を中心にやってきましたから。

Q:先取点は取りたいですね?
A:ええ。佐野を楽にする意味でも、流れを持ってくる意味でも、そうですね。

Q:そのエース・佐野くんですが、監督から見て、調子はどうですか?
A:大会前にちょっと疲れがたまっていたので、ノースロー調整(ブルペンに入らない)をしたのですが、それで、ちょっと体の使い方のタイミングがズレてしまったところがあるようですね。まだ本調子ではありませんが、初戦から、2回戦・3回戦と調子は上向きになっていると思います。別に厚木西に合わせてきたわけではないのですが、結果的に4回戦にピークになるといいですね。

Q:彼の調整法については、どんな指示をされているのですか?
A:普段は火・水・木にブルペンで投げ、土日の試合を含めて、週に500球程度の投げ込みをさせています。まあ、今は大会期間中なので、あまりたくさんは投げませんね。せいぜい30球程度でしょうか。

Q:守備についてはいかがですか?
A:大きなミスはせずに、よくやっていると思います。パスボールや悪送球が出なければ、ゲームにはなりますね。

Q:では、最後に、明日の厚木西戦に向けて、抱負を。
A:強気でいきたいです。セオリー通りにやっているだけでは、やられてしまう相手ですから。足を絡めた積極的な作戦を採りたいですね。あとは佐野の投球と守りがしっかりやる、ということです。10回やれば、1回は勝てる相手だと思いますので、今まで出し切れなかった力を出して、なるべく普段の野球ができるよう頑張ります。

 どうもありがとうございました。明日の勝利を心待ちにしていますね。
 
★★★橋本賢二キャプテンにインタビュー★★★
 
 相変らずデカイ(そりゃひと月くらいじゃ変わらんか)。橋本主将は2回戦でホームランを打つなど、打撃面で勝利に大きく貢献してきた。

 練習でもチームを積極的に引っ張り、2年生中心の若いチームに勢いをもたらしている。

Q:これまでの3試合を振り返って、いかがですか?
A:まだ、自分たちの野球がしっかりとは出来ていないところもあります。

Q:明日、相手は第1シードの厚木西だけど、どんな野球を心掛けたいですか?
A:相手が強いので、とにかくミスしないようにしたいですね。そして自分たちの野球をしたいです。

Q:勝てる要素、負ける要素があるとすれば、どういったことになりますか?
A:エラーが出て、声が出なくなると、ムードが悪くなります。そうならないよう、声を出したいです。あと、打つべき人が打てば流れが来て盛り上がるので、そうなるよう頑張ります。そうすれば、佐野も頑張れると思うので。

Q:その「打つべき人」の中心が君だと思うけど、心中期するものがあるのでは?
A:130キロ台くらいのボールは得意ですから、何とか打ち崩したいです。ホームランを打ったら、スタンドに向かって『ハッスル』をやります。
(これは、私が言わせた感もありますが...)

 好漢・橋本主将の打棒全開となれば、勝利も手繰り寄せられそうです。期待していますね。
 
★★★2年生エース・佐野宏明くんにインタビュー★★★
 
 エースとしてマウンドを守る佐野宏明くんは2年生。3回戦では2失点完投勝利だけでなく、決勝打も放った。

Q:いよいよ明日は第1シードの厚木西だけど、調子はどうですか?
A:上り調子になってきました。私立強豪やシード校など、相手が強いと、やる気になるというか、燃えますね。
 
Q:明日はどんな投球を心掛けたいですか?
A:高めのボールはよく打つチームなので、甘く入らないよう、低め・外角へ丁寧に投げたいです。

Q:コントロールに自信あり?
A:いやぁ、そんなでもないですが、無駄なフォアボールは絶対に出したくないですね。

Q:明日は保土ヶ谷球場でテレビ中継もありますが、そういったことは気になりますか?
A:あまり気にはならないです。試合が終わってから、「あ、そうか、今日はテレビ中継だったんだ」とやっとわかるくらい、集中して投げたいと思います。

Q:今年の茅高は2年生が主力になっていますが、現野球部についての思い入れなどがあれば、聞かせて下さい。
A:確かにレギュラーの3年生は3人なんですが、試合に出ていない3年生の先輩も、いろいろと気遣ってくれたり、声を出して盛り上げてくれるいいチームなので、まだ終わりたくないです。このチームで出来るだけ野球を続けたいですね。

Q:では最後に。思い描いている明日の投球を一言で表現するとすれば、どんな言葉になりますか?
A:「一球入魂」ですね。

 どうもありがとうございました。そうですね。先輩たちと野球をやれる最後の夏、なるべく長くあって欲しいものですね。明日の快投を期待しています。
 
★★★3年佐々木千恵マネにインタビュー★★★
 
 二度目のインタビューですね。3試合勝ってきたことで、ちょっと自信もついてきたところでしょうか。

Q:どうですか、ベンチに入って、選手と一緒に戦う気分というのは?
A:接戦だったので、もう、途中で泣いちゃいました。

Q:女子マネージャーがベンチで出来ることって何でしょうか?
A:まず、スコアをしっかりつける、ということです。それと、選手に声を掛けたり、肩を叩いたり(エラーなどして凹んでいる選手に)、2年生が多いので、ちょっとお姉さん的存在というところもありますね。

Q:3年間、マネージャーをやって、今はどんな想いがありますか?
A:やっててよかった〜、ということですね。最初は自信もなかったですし、辞めようと思ったこともありましたから。

Q:さて、明日の試合に向けて、選手に伝えたい言葉は?
A:力を出して、思い切りやるだけ、ということです。

 どうもありがとうございました。明日もベンチに入るそうなので、君の力で出来ることは、是非してあげて下さいね。
 
★★★2年木村美夕紀マネにインタビュー★★★
 
 ご存知、傷心の私に温かいメールをくれた木村マネ。本日の取材も彼女のメールが発端となっている。

  で、今日判明したことであるが、彼女はチームメイトから「キムチー」と呼ばれている。だから、どうだと言うわけではないのだが...
(佐々木マネと彼女の他に、1年生マネも2人いる。恵まれてるぞ、茅高野球部)
 
Q:なぜ、野球部のマネージャーになったの?
A:運動部で忙しいのに憧れていました。でも、自分では出来ないし、野球部以外のマネージャーも想像できませんでした。

Q:マネージャーの大変なところってどこでしょうか?
A:なるべく、先・先と気づいて、自分で動く、というところでしょうか。去年の3年生のマネージャー(小沢久美さん)を見ていて、そう思いました。

Q:茅高野球部のよさ、というのを教えてもらえますか?
A:仲がよくて、雰囲気もいいですね。2年生たちが声を出して盛り上げているし、リラックスしてやっていると思います。

Q:では、明日の厚木西戦に向けて、部員に伝えたいことがあれば、お願いします。
A:名前負けだけはしないで、いつも通りに力を出して欲しいと思います。

 ありがとうございました。また、心温まるメールをお待ちしていますね。明日はスタンドから、デッカイ声で応援して下さいね。
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
 明日は、茅高は第1シードの厚木西と、北陵は第2シードで昨夏代表校の横浜商大と、それぞれが目標としていたチームとの戦いです。ある意味での、チームとしての総決算のような試合前夜、選手たち(特に3年生諸君)は、ちゃんと眠れるのだろうか。

 茅高では、他の部活の生徒たちが、「明日は頑張って下さいね」などと、監督や部員に声を掛けている風景とも出会った。私は硬式野球部のない学校(今はありますが)にいたので、感覚がうまくつかめないが、やはり、野球というのは、日本という国に根付いているもんだなぁ、と感心したりする。

 茅高・北陵野球部の皆さん、是非、応援を力にして、精一杯のプレーで応えて下さい。微力ながら、「部活.ネット」でも応援したいと思います。
 

▼▼▼3回戦終了 残る32チームの健闘を祈ります 2004.07.20up▼▼▼
 
 19日、3回戦の残り16試合が行われた。

 第2シードの東海大相模高校は平塚学園に延長の末、破れ、夏の甲子園にはもう20年、手が届かない。その間、春の選抜では全国優勝も経験しているチームだけに、神奈川県の選手権予選がいかに厳しいものであるかが、その事実一つを見てもわかる。

 その東海大相模をはじめ、既に163チームが姿を消したことになる。

 しかし、戦いは始まったばかりだとも言える。生き残った32チームから甲子園に出場できるのは、わずかに1つ。これからまだ5回も勝たなければならないのである。

 優勝候補最右翼の横浜高校は、プロ注目のエース・涌井くんをまだ温存。猛暑に於ける連戦の厳しさを知るチームの戦い方だとも言えよう。6年前のあの夏、大エース松坂大輔投手(現西武)を準決勝まで温存し、春夏連覇を成し遂げたことを彷彿させる。明らかに甲子園を視野に入れた戦略である。
(ちなみに、横浜高校は練習試合で、あのダルビッシュ投手を擁する東北高校と引き分けている)

 さて、本日(20日)は予備日のため、試合は行われない。このような中休みに相当する日、勝ち残ったチームは一体どのような練習をしているのであろうか。また、残念ながら敗れ去ったチームは、どういう行動に出るものであろうか。

 うまくタイミングが合えば、そのあたりも取材したいと思う。

 いずれにせよ、勝ち残った32チームの関係者の皆さん、思い残すことがなきよう、力を振り絞って頑張って下さい。

 
▼▼▼鶴嶺まさかの敗北。茅高・北陵接戦を制す 2004.07.19up▼▼▼
 
7/18の結果 茅ヶ崎3−2元石川 北陵4−3城郷 鶴嶺8−12保土ヶ谷
 
◇本日のメニュー◇ あまりに雑多に記事があるため、ジャンプできるようにしました
(1)引地台球場への道のり
(2)鶴嶺高校試合レポート
(3)茅ヶ崎高校野球部への懺悔
(4)特別手記「りょぉ〜にぃ〜!が・ん・ば・れ〜」

 
 その瞬間、彼はバッターボックスからヨロヨロと一塁側に這い出て、グラウンドに突っ伏した。

 そして、号泣した。

 1点を追う城郷は、最終回、ノーアウトから出塁した走者が盗塁、さらにバントで進め、一死三塁と絶好の同点機を迎えた。ここでスクイズもあるかと思われたが、強攻してセカンドゴロ。ランナーは動けず、二死に。
 
 ここで背番号19の松尾くんが代打に。初球から思い切りよく振ってゆく。打ち気は満々だ。

 北陵のマウンドには、6回二死からエース・東くんを引き継いだ藤原くんが立っている。少なくとも、スタンドからは冷静そうに見えた。

 2ストライク後、藤原くんが渾身の一球を投じると、松尾くんのバットが回り、捕手で主将の中村くんは小さくガッツポーズ。スタンドは半狂乱状態に。

 そして、城郷高校最後の打者となった彼、松尾くんはしばらく顔を上げられないほどの号泣ぶりで、チームメイトに支えられて、ようやく整列。その姿は胸を打つものであった。

 試合は茂岡くんのタイムリーで先制した北陵が、その後も池田くんの犠牲フライ、東くんのテキサスヒットなどで加点。5回までに4点をリードする展開となった。

 初戦から徐々に調子を上げてきた東くんも力投で、それに応えていたのだが、5回ウラ、エラー絡みで2失点。さらに、6回にヒットを集められ、1点を与えた後、二死一・三塁となったところで、松島監督は藤原くんをマウンドに送った。

 エースで四番を打つ東くんをベンチに下げるのは決断も必要だったろうが、この継投がズバリ当たる。後続をピシャリと抑え、北陵は4回戦進出を決めた。

 次は昨夏の代表である横浜商大高校。目標としていた相手である。今年も第2シードであり、ハッキリ言うと、北陵よりも戦力的には数枚上である。しかし、彼らも高校生。「負けて失うものはない」という気持ちでぶつかれば、活路も開かれよう。

 頑張れ、北陵野球部!
 
  
  
試合は接戦であったが、応援では圧勝。ブルーのメガホンが青空に映える。
 
 
  
  
藤原くん(右下)は「ムードメーカー的キャラ」(OB談)。絶妙のリリーフであった。
 
  
4対3の好ゲーム。勝って校歌を歌う北陵ナインとスタンド。学校関係者が一つに繋がる象徴的シーンと言えるだろう。
 
  After Game
 
  

左)中村主将のお母様と勝利を喜ぶ蜊Z長(右)・野中教頭。父母会の皆さんからは、ナント、ジュースを3本も頂いてしまいました。ありがとうございます。 中)継投が決まって笑顔の松島監督。商大戦については「これから考えます」とのこと。 右)この日ベンチ入りしていた上久保あゆみマネ。ゲームセットの瞬間、思わず涙が溢れたそうだ。
 

  
応援団から祝福を受ける北陵野球部。右はおどける先頭打者・八窪くん。
 
  
最後のバッターとなった城郷背番号19・松尾くんは、グラウンドを出てからも泣き伏していた。敗れた城郷ナインから、北陵に千羽鶴が手渡された。勝ったチームは負けたチームの想いも背負って戦わねばならない。
 
大和引地台球場。またの名を「ドカベンスタジアム」!
 


上が「小さな大投手」里中。下がドカベンこと山田太郎(だと思う)。
 12:45。小田急線桜が丘駅からタクシーに乗った。

  この日の第二試合である北陵対城郷の試合開始予定時刻にはまだ時間があったが、この辺りに不案内である、ということと、第一試合に横浜商大が出場するため、短い時間(コールド)での決着が考えられたからだ。

 私が乗ったタクシーの運転手は女性(30代前半くらいに見えましたぞ)であり、妙に陽気だ。聞いてもいないのに

  「私、タクシーの運転手やり始めて1年半なんですけどぉ、まだ一度も事故とか起こしたことがないんですよぉ、お客さん。」

 などと、語ってくれる。ちょっとだけ嫌な予感がした。

 住宅街を時速30キロ程度で走り出す。車2台がすれ違うのが厳しそうな道で対向車が見えた。こちらに向かって走ってくる。

 「私の方が優先ですよね、お客さん?」
 
 私に聞かれても...。彼女はひどく不満そうに、車を路肩に寄せる。

 ようやく、ちょっと広い道に出る。彼女の機嫌がよくなるのがわかる。饒舌になるので、たぶん誰にでも判別可能だ。

 「もう、この辺ったら、あんな道ばっかりでしょ。ホント、商売にならないんですよぉ、お客さん。」

 ニコニコと語るので、内心「しようがねえなぁ」と思った数秒後、

 超急ブレーキ。

 進行方向左側の十字路から、時速60キロは超えていると思われる白い車が暴走気味に突入。向こうも急ブレーキだ。私は後部座席の左側に乗っており、当たっていたら即死だったかもしらん。

 「もう、全然信じらんな〜い。絶対こっちの方が優先なのにぃ。そうですよねぇ、お客さ〜ん。」

 あなたが1年半の間、無事故でいられたのは、とても幸運だったからではないでしょうか?

 言い掛けた言葉を飲み込んだ頃、引地台球場入口に到着。

 と、いきなり「DOKABEN STADIUM」と英語で書かれた立て札がある。その名の由来は勿論、不明。ドカベン全巻を読み返している暇もないので、球場へ近づくため、ズンズン中へと入ってゆく。すると今度は、あからさまにドカベンと里中という「明訓高校」のバッテリーの像が、スタジアム入口前に置かれている。

 クラクラした。

 もしや、ドカベンがこの球場で4打席連続ホームランを打ったとか、里中が完全試合をやったとかいう設定があったのだろうか?

 いずれにせよ、思い切り著作権に関わるので、水島新司大先生の許諾は得てあるのだろうが...。

 う〜ん、不思議な球場だ。きっと、読者の皆さんの中には、その由来を知っている人もたくさんいるのでしょうね。誰か私に教えて下さい。

 一応、次にこの大和引地台球場に来る時には、タクシーは使わずにおこうと思う次第です。

 でも、あの女性運転手、もしかしたら、本当にツイているのかも。北陵、勝ったしね。
(ドカベンにも会えたし....)
 
 
鶴嶺−保土ヶ谷戦レポート(?)を頂きました
 
 第3シードの鶴嶺がよもや敗れるとは...。

 昨日アップした分の最後に書きましたが、「どの球場に行くか」という問題は、本当に私を悩ませるものでした。しかし、3つの学校(鶴嶺・茅ヶ崎・北陵)のうち、“負ける可能性”が最も低いのが鶴嶺だと考えた末、等々力球場に行く選択肢をまず外したわけです。

 ま、遠いから、という理由もほんの少しだけありましたが...。

 しかし、世の中には優しい人もいるもので、鶴嶺OBで、以前にもメールを頂いたことのある中村直人さん(在校時は吹奏楽部所属。アレッ、名前出してもよかったですか?)より、試合の完全なるレポートがメールで届けられました。

 以下、原文のまま(改行などは施しました)、お届け致します。
(おぉ、こんなのばっかりだったら、凄く楽ができるぞ)

管理人様
毎日更新お疲れ様です。以前メールしました、鶴嶺高校吹奏楽部OBの中村です。
今日、私は管理人様の代わりに!?等々力球場まで行ってきました。試合結果についてはともかく、炎天下約3時間居た中で感じた事をいくつか。

当たり前の事ではありますが、やはり現役高校生の皆さんのパワーと情熱を感じました。
私が毎年「必殺仕事人」のソロをやって(しまって)いるのは以前お知らせしましたが、試合前に現役トランペットの子達がそのソロを練習していたのを見つけて、「おっ 今年は俺の出番はナシかな?」と思っていました。
今日の試合で全部で6回、吹く機会がありましたが、私が4回目でもうバテてあまり吹けなくなったのを見て、現役生のラッパの子達が「やります!」と言ってソロを吹きました。
その子達の事を頼もしいなあと思う反面、俺も歳をとったなあ。もう引退かなあ・・・・。
と感じてしまいました。

そういえば、今年度の鶴嶺吹奏楽は1年生がかなり入部したようです。貴HPの取材が良かったのでしょうか?
今後が期待されます。

もうひとつ、鶴嶺には野球応援で臨時に編成される?チアチームがあります。やっている事のレベルはさておき、一所懸命やっているのを感じました。
相手チームに大量点を取られた次の回、懸命の反撃に涙ぐみながら応援するチアの団長(?)。炎天下で次々具合が悪くなっていく子達をかばいながら懸命に応援していました。

また、鶴嶺の大応援団を相手に9回を最後までがんばって一人で吹ききった、相手校保土ヶ谷高校のトランペット奏者の彼にも賛辞を送りたいと思いました。(応援団は吹奏楽?部の約10名弱のみ。その中でもトランペットは一人だけでした)

以上、あまり参考になるかは分かりませんが、ご報告でした。

それでは。


 中村さん。すごく役に立っています。また、メール下さいね。
 

茅高野球部の皆様へ
 
 「嘘つき」と呼ばれることを潔く望みます。18日の試合も見に行けず、本当にゴメンナサイ。

 でも、またしても1点差のゲームをモノにしましたね。立派です。しかも、たったの5安打で勝ちきるあたりは、チームとしての成熟度が上がってきた証ですね。
(秋山監督の胃には、既にいくつか穴が開いていると思いますが)

 次の4回戦は第1シードの厚木西高校との対戦ですね。保土ヶ谷球場だから、テレビ中継もあります。注目の一戦です。相手も同じ公立高校ですし、勝つチャンスも十分にあるでしょう。

 初心忘れず、で、「55野球」を展開して下さい。

 思いますに、「無欲の勝利」などというものは、実際にはない、かと。『これに勝てば甲子園に出られるかも』というくらいの欲丸出しでいいのではないでしょうか。

 リラックスした雰囲気の中、2年生が活躍すれば...。そのためにも、何とか、先取点は欲しいですね。

 期待しています。
 

 
背中に聞こえたあの声は、君に届いたのか

商大戦での快投が期待される
東遼太郎投手。通称「りょ〜に〜」
 
 北陵−城郷戦、6回ウラのことであった。

 私は北陵応援席の写真を下からのアングルで撮影するため、すり鉢状になったスタンドの最もフィールド寄り(簡単に言うと最前列)に移動していた。

 5回に2点返され、スタンドにはやや重い空気が流れ出した。それを断ち切りたい場面であった。
 
 私も撮影より、試合を観ることに集中し始めていた。

 マウンドのエース・東遼太郎くんは、この回もヒットのランナーを背負い、苦しいピッチングであった。少なくとも、私よりも4列うしろ側に座っていた少女にとっては、そう見えたに違いあるまい。

 「おにいちゃん、頑張って」という声が聞こえたような気がした。

 そして、その声が私の幻聴でないことは、エースが一球投じるたびに、ダイナミックレンジを広げていったことによって確かなものとなった。

 少女はこう叫んでいた。

 「りょぉ〜にぃ〜!が・ん・ば・れ〜」

 と。

 私は振り返ることを禁じ得なかった。そこには、小学4年生くらい(全然違ったらゴメンなさい)の可憐な少女が、必死にマウンド上の兄に声援を送る姿があった。

 思わず私は「東くんの妹さんですか?」と尋ねた。少女はコクリと肯き、また声援を送った。

 少女がどこまで野球に詳しいのかは、勿論わからない。しかし、グラウンドで戦う兄の姿や息遣いといったものから、或いはスタンドの重苦しい雰囲気から、それをピンチだと察していたことは容易に想像がつく。

 「りょ〜に〜」は1年生の時から期待され、ベンチ入していた。そして、写真でもわかるように、グラブを持つ側の左手を高く上げることによってバランスを保ち、上背を利して投げ込むというスタイルを身につけることで、この春から球威も増し、コントロールもよくなった。

 「りょ〜に〜」のピッチングの特徴は、ある程度ヒットを打たれても、無駄なフォアボールを出さないことで、失点を最小限に食い止めるところにある。

 実際、1回戦の対相原高校では9安打(2失点)、2回戦の対金沢総合では7安打(零封)されているが、けして大崩れしない。この3回戦も6安打(無四球)されたが、自責点は1である。

 少女の願いは、しかし、届かなかった、と言えるだろう。塁上に二人のランナーを残して、投手交替が告げられた。

 明らかに落胆する少女。私は「次の試合も応援に行こう」と言った。しかし、私が何者であるかを告げていなかったこともあって、本当に小さく肯いただけであった。その時点では、まだ次の試合があるかどうかもわからなかったわけである。

 二番手の藤原くんへの継投策は見事にハマッた。虎の子の1点差を守りきり、北陵は「次の試合」をする権利を得たわけだ。

 4回戦は「りょ〜に〜」が待ち望んでいた、昨夏の代表校・横浜商大高校戦である。可愛い妹のためにも、これまでの人生に於けるベストピッチを見せてもらいたい。

 もし、私が球場へ応援に行けたら、「りょぉ〜にぃ〜!が・ん・ば・れ〜」と、少女とともに叫びたいと思う。
 

▼▼▼江南、武相相手に8回まで持つ! 2004.07.18up▼▼▼
 
7/17の結果 平塚江南3−10武相 (8回コールド)
 
副題:悩み続ける管理人

 「どうせシード校と当たるなら2回戦で」

 というのは、しばしば公立高校野球部関係者から聞くセリフである。

 その真意というのは、『シード校とは言え、初登場する2回戦は緊張するもの。その点、こっちは少なくとも一度勝っているという勢いがあり、体も温まっている』ということらしい。

 確かに、シードされている学校はある程度強いもの。しかし、同じ高校生なわけだし、象と蟻ほどの実力差があっても、どう転ぶかわからないのが野球の面白さでもある。

 で、我が母校・平塚江南が武相にどこまで食い下がるか、ちょっと楽しみにしていたわけだ。

 結果としては3−10で敗れはしたものの、コールド寸前の7回表に2点、さらに8回に1点追加し、意地を見せた。
(8回ウラに3点取られて、コールドとなった。9回まで戦わせてあげたかった。)

 これで2回戦全試合が終り、既に131チームが姿を消したことになる。そして、18日からは3回戦が開始される。私はどの球場に行くか、今もまだ悩んでいる。

 それにしても、せっかく勝ち残った茅ヶ崎勢3校がよりによって同じ日のほぼ同じ時刻に試合するとは...。

 私が行って、勝てばいいけど、負けたら自責の念に駆られるしね。

 マジで「くじ引き」で決めさせて頂きます!

▼▼▼寒川高校善戦及ばず 2004.07.16up▼▼▼
 
7/15の結果 寒川6−11慶応藤沢

 部員数19名プラス1名の寒川が惜しくも敗れた。

 慶応藤沢を相手に5回には一旦逆転する気迫を見せたが、終盤、慶応の打棒に力負け。しかし、伊東正先生が事前に語っていたように、昨年よりも力をつけたところは出せたのではなかろうか。

 少なくとも、エラーは2つに食い止めた。そして、相手が先に得点したイニングで、必ず入れ返す粘りもあった。

 エース永山くんが2年生ということもあるし、今後の伸び代は大きいと言えよう。

 女子部員の伊藤佳穂さんが、今後もくじけずに、プレーヤーとして頑張ってくれることを期待してやまない。

 さて、15日、保土ヶ谷球場で行われた、鎌倉高校対大和南高校は、7回表に鎌倉が13−5とリードした時点で、コールドゲーム間近であった。大和南には、あと1回の攻撃が残されていたとは言え、少なくとも2点以上取らなければ、その時点でゲームセットになっていたところだ。

 ところが、その7回裏、稲光が走り、雨も激しく降り出した。そして、「ノーゲーム」が宣告される。

 昨年、甲子園で起こった「駒大苫小牧−倉敷工業」(詳しくはこちらをクリック)を思い起こす。

 あの試合では大量リードを奪っていた駒大苫小牧が、やはり、ノーゲームを宣告され、翌日の再試合で敗れ去っている。

 7回を終了しなければゲームが成立しない、というルールは理解できる。しかし、途中まで戦ったものをチャラにするのはどうかと思う次第だ。

 鎌倉の主将が「天気には勝てません」と言っていたのは、せめてもの救いではあるが....。

▼▼▼茅高サヨナラ勝ち!鶴嶺・北陵はコールド勝ち 2004.07.15up▼▼▼
 
7/14の結果 茅ヶ崎5−4桜丘(サヨナラ勝ち) 北陵9−0金沢総合(7回コールド)
          鶴嶺7−0湯河原(7回コールド)
  
 
 今日は『茅ヶ崎の日』であった。

 シード校の鶴嶺はエース青木くんが奪三振ショーで完封。まずまずの出足だろう。予想として、試合終了後、菊地原監督は「このくらいで喜んでいてはいけない、というのはわかっているね」とナインを諭したと見ました。
(あくまで、推測です。ものすごく違っていたらゴメンナサイ)

 北陵も、エース東くんが7安打を許しながらも6回2/3を完封。1回戦に続き、打たれ強いところを見せた。なぜ、あと一人というところでピッチャーが交替したかは、松島監督だけが知っている。

 そして、茅ヶ崎高校。四番・橋本主将の大ホームランと2年生エース佐野くん自らのヒットで、興奮のサヨナラ勝ち。実に素晴らしい。

 このチームの2年生マネの木村さんはとてもいい人だ。どのくらい、いい人かと言うと

 傷心の私に心温まるメールを送ってくれるほどいい人だ。


 その木村マネから、本日も試合報告のメールが来ましたので、ご紹介しておきますね。
(原文のまま。前後は割愛させてもらっています)

今日の結果聞きましたか!?勝ちましたよ-!!
うちのチ-ムは普段勝ちにこだわる感じが無さすぎるので,
まさかサヨナラ勝ち!出来るなんて!本当嬉しかったです!!
賢二さん(主将の橋本賢二くん。体重97キロの四番打者)のホ-ムランも出たし盛り上がりましたよ-!
広瀬さん(1回戦でホームラン)はほとんど敬遠されてました^^;
でもうちには四番もいるんだぞっ!って見せ付けられたと思います.笑
55野球(笑)※編集・注,
今日もギリギリ実現出来ました-
本当嬉しいです 興奮冷めやらぬ感じです.笑

これで三回戦,来て頂けるんですね-!もし余裕があったら声かけますね♪
今度は絶-対ッ!寝坊しないで下さいね!!笑
記事楽しみにしてるので♪
でも私も朝弱くてよく寝坊しますよ(笑)


[編集・注]“55野球”とは
 「ゴーゴーやきゅう」と発音する。茅ヶ崎高校野球部紹介ページをご覧になって頂ければわかるかと思われるが、要するに

  『相手を5点以内に抑えて、こっちが5点以上取れば勝てる』


 という、数学の摂理に至極基づいた野球のこと。彼女に対するメールの返信で、私が一昨日命名した。
(そんなの当たり前じゃん、などと言うとバチがあたりますぞ)
 別に、ダイエーの王貞治監督やゴジラ松井を意識したわけでもなく、5年5組のチームでもない。
 ちなみに、私が子供だった頃、「ゴーゴー」という踊りが流行っていたが、それとも無関係である。


 賢明な読者諸氏は既におわかりかと思うが、本日の茅ヶ崎高校−桜丘高校のスコアが、ナント!「5−4」なのである。

 Oh my God!

 こんなことってあるもんなんですねぇ。相手を4点に抑え、こっちが5点取って勝つ。まさしく「釣り銭なし」の芸当である。しかも、サヨナラ勝ちのおまけつき。

 これは偶然ではなく、必然と見ました。茅ヶ崎高校監督の秋山先生も、胃は痛んだかもしれませんが、この結果には「してやったり」ではなかったでしょうか。

 相手の桜丘は元近鉄で新人王も獲った阿波野秀幸投手(現巨人投手コーチ)の出身校であり、1999年には準優勝している強豪だし。

 というわけで、3回戦の元石川高校との対戦(18日13:30試合開始)を応援に行きたいのですが、実は困ったことになっています。

 というのも、鶴嶺・北陵も勝ち進んだため、18日はトリプルブッキングとなってしまったわけです。

 これは喜ぶべきことなのでしょうが、私も分身の術を使えるわけではないので(修行不足のため)、同日・同時刻に、平塚・大和・等々力に登場することはかなり難しいかと。

 鶴嶺は2戦連続コールド勝ちして上がってきた保土ヶ谷高校、北陵は昨年鶴嶺を葬り去った城郷高校が相手。どちらも侮れず、全球場に行きたいものです。

 鶴嶺・北陵は無事に3回戦を勝ち抜いてくれれば、両チームとも4回戦が21日の平塚球場なので、一石二鳥なのですが....。
(しかし、その日は本職の学習塾が「夏期講習」というビッグイベントを開催中。...でも、こっそり抜け出してみせましょう)

 とりあえず、どの球場に行くか、ということについては、ちょっとだけ悩ませて下さい。でも、そろそろ茅高の応援に行かないと、「とある大学生」さんから

茅ヶ崎対桜ヶ丘見てきました。結果はサヨナラ勝ちです。正直な話初回2点取られたときは「コールドになんじゃねーか?」なんて思ってました。けど同点にしてさらに四番のあわや場外というホームランで逆転してなんとか勝ちました。そういえば球状で管理人の姿が見えませんでしたけど、、、

 などと、明らかに私を挑発するかのようなメールも届きますからね...。
(ちなみに、「球場」という字が間違ってるぞ)

 今日は寒川高校が初陣です。頑張って一緒に練習している女子部員がベンチに入れない、という理不尽さを何とか力に変えて、初戦突破を狙って欲しいものです。


 って、結局18日、私はどこへ行くのだろう....。


▼▼▼西浜初戦惜敗 今日から2回戦開始 2004.07.14up▼▼▼

7/13の結果 西浜4−6鶴見工 平塚江南9−3新栄 桜陽11−6川崎商

 予選開始から4日。既に67チームが短い夏を終えた。

 西浜高校が敗れ去った。ついこの間、トンビの襲来をかわしながら、監督・キャプテン ・マネージャーなどに取材したのが嘘のようだ。

 エース水野くんは、まだ2年生。来年がある、とも言える。しかし、このチームで真剣に野球をやるのは、これが最後である、という事実は覆らない。この日を最後に、もう硬球は生涯握らない、という部員も相当数いるはずだ。

 儚(はかな)い。

 昔、松田聖子が自ら主演した映画『野菊の墓』の主題歌で「人の夢と書いて儚い」などと歌っていたのを急に思い出してみたりする。

 勝負事には必ず勝者と敗者が存在する。それが前提である。

 しかし、当事者にとっては、敗戦を受け入れることは耐え難く、よりよく練習を積んできた者であれば、尚更だ。「負ける日が来る」ことは、漠然と理解してはいるだろうが、実際にそれが訪れた時の虚脱感は、いかほどのものであろうか。

 地区予選で負けたチームが、敗戦を喫した球場の土を持って帰る、という話は聞いたこともないし、見たこともない。それでいいと思う。

 もし、彼らが大切にすべき土があるとすれば、それは懸命に走り、時には涙した、母校のグラウンドのものであろう。

 だからと言って、西浜野球部員諸君は、母校のグラウンドの土を持ち帰るのはやめた方がいい。グラウンドに穴が開いていたりすると、体育の授業などで一般生徒が迷惑するからね。

 ちなみに、私の母校である平塚江南高校は、何とか1回戦を勝ち上がった。私が在籍していた頃は、元女子高でクソ狭いグラウンドだったこともあり、軟式野球部しかなかった。隔世の感は否めない。

 2回戦の相手はシード校で甲子園経験もある武相高校だ。武装高校ではない。武器を持たない、同じ高校生だ。けたぐりをかましてもらいたい。

 嬉しいニュースも。昨年まで北陵高校野球部を指揮していた鶴岡英一先生率いる桜陽高校が創部2年目で、初勝利を得た。

 北陵野球部OBたちから、「部員は10名。うち一人は義足」(今春の時点)と聞いていたので、いかに芸術的ノッカー・鶴岡先生と言えど、勝てるチームにするのにはご苦労もおありかと思っていたところであった。

 しかも、その義足の部員・斎藤くんは九番・一塁でフル出場、犠牲バントを3つも決めたのだ。
(神奈川新聞報道による)

 義足と言えば、昨夏甲子園を湧かせた今治西高校の曽我健太選手(彼は大学でも野球を続けている)を思い出すが、斎藤くんの場合、右足の付け根のところから切断している。DH制のない高校野球では、守備・走塁面が不安なので、使うべきポジションが難しい。

 創部2年目で冒険ができる時だとは言え、鶴岡先生の決断には拍手を送りたい。

 さあ、今日からはシード校も登場する2回戦が始まる。第3シードの鶴嶺は湯河原高校との対戦だ。1回戦を勝ち抜いた茅高は桜丘高校と、北陵は金沢総合高校と、それぞれ対戦する。やはり、取材させてもらった学校の選手たちには思い入れもある。少しでも、長い夏を謳歌してもらいたい。

▼▼▼「管理人、大寝坊」に対して既にクレーム続出 2004.07.12up▼▼▼
 
 野球特集を組むと、去年もそうであったが、アクセス数がいきなり上がる。この時期、皆、暇になったから見てる、とは思えないので、やはり高校野球の持つ偉大な力を突きつけられているようですぜ。

 お陰で(?)、早速「管理人、大寝坊」に対するクレームもたくさん頂きました。



      すんませんでした...




 ホント、悪気はなかったんです。
(大概の犯罪者が吐くセリフですけど)

 こ、今度こそ頑張って起きるぞっ。いやいや、マジで。

 ともかく、私が応援に行かなかった試合に限って、茅高・北陵とも初回からホームランを打つなんて...。新聞で詳細を見て、せつなかったです。
(特に、北陵の八窪くんは先頭打者本塁打!)

 とりあえず、茅高野球部OBで、一昨年の「四番打者」くんから、かろうじて“クレーム以外のメール”が届いていますので、ご紹介しておきます。
(ここでハッキリとしておくべきは、彼が四番に座ったあの夏、茅高は初戦で敗れたということです。昨年・今年の茅高の四番はすごく頼もしいです。)

しかたないから報告します。
茅ヶ崎高校野球部圧勝でした。
普通にホームラン打ってました。
けど次は桜丘なので挑戦者のつもりでがんばるとおもいます。


 もう少し、漢字を使って下さいね。

 あとね、「普通に」という言葉の使い方が、最近よくわからなくなったよ。「微妙に」「むしろ」という言葉もちょっと気になります。ま、言葉なんてのは、時代によって変化するものだけどね。

 読者の皆さん。私を見捨てず、時には心温まるメールも下さい。(泣)

 明日は我が母校、平塚江南高校も出場します。せめて1回は勝ってくれ!

▼▼▼予選開始 茅ヶ崎勢好発進! 2004.07.11up▼▼▼
 
7/11の結果 茅ヶ崎10−0瀬谷(5回コールド) 北陵10−2相原(7回コールド)
 
 初手から申し訳なさ満面である....。

 本日7月11日(日)は、茅ヶ崎勢初登場の日でもあり、何としても応援に行って(ま、私が行ったから「勝つ」というわけでは全くないのであるが)取材した選手たちの活躍ぶりを見ようと心に決めていたのだが、あろうことか

 大寝坊。

 気がつけば午後2時を過ぎている...。もう試合も終わってるぜ...。

 確かに、ここ数週間ハードな日々を過ごしてはいた。昨日に至っては、睡眠時間が40分という絶望的な状況ではあったものの、まさか野球の応援に行くと決心しておきながら、寝坊するなどとは考えられず、いたく反省しています。

 それにしても、茅高・北陵が見事に1回戦を突破してくれたからよかった。これで、初戦敗退、などという事態に至っていたら、生涯私は自分を責め続けることになっていたに違いあるまい。

 でもね、明日からも結構厳しいスケジュールで仕事をしなければならないわけよ。しかも、球場が遠い遠い。何とか、藤沢か平塚あたりでやってもらえると、仕事の合間を縫って、こっそり出掛けられるのだが、相模原とか秦野とか等々力だと なかなかにして難しいものがあるね。

 せめて、茅ヶ崎市営球場が高校野球の会場であれば...などと「ないものねだり」をしたくなる。せっかく国体があった時に補修工事をしたのに、どうやら、硬式野球はご法度とのことだ。実に惜しい。

 鶴嶺高校出身の服部市長様。母校がシード校になっています。早急に市営球場を硬式野球でも使えるよう、改修工事をお願いします。

 いやいや、これは私だけでなく、多くの茅ヶ崎市民が望んでいることだと見ました(根拠はありませんが)。

▼▼▼WEB版・ペーパー版「野球部特集」ようやく完成 2004.07.04▼▼▼
 正直言って、今年はこの野球部特集を組むかどうかを迷いました。本業が凄まじく忙しいため、十分な取材やそれを考察する時間が持てるかどうか、ということに自信が持てなかったからでした。しかし、今だから言えることでしょうが、勿論、やってよかったな、と。
 
 ただ、去年ほどには実際に球場に行って観戦できるほど余裕はないように思います。在校生やOB、あるいは先生方やただの通りすがりの人でも結構です。「見たよ」という人は、メールでも送って下さい。なるべく彼らの姿を伝えたいと思います。

 ちょっとずつ、しかも不定期ではありますが、高校野球やその周辺について、書こうと思いますので、よろしくお願いします。